感情的にならず、謙虚に学ぶ

ビジネススキルをマネジメント
スポンサーリンク
スポンサーリンク
レタスの正しい包み方は常識なのか

冷蔵庫のレタスが腐りかけていた。私が夕食を作る際に半分使い、その残りをサランラップに包んでおいたものだ。それを見た嫁が怒って私に言った。

「レタスは買った時に包んであるフィルムで包み直さないといけないのに。ラップで包んだらダメだって知らないの?」

それが常識であるかのように言われても、私はそんな常識は知らない。私自身、生きていく上での一般常識は人並みに身に着けていているつもりだが、常識は生まれ育った環境やそれまでの経験よって異なるので、他の人にとっては常識ではないことも多い。それゆえに常識を周りに押し付けてはいけない。

嫁の責めるような言い方が気に障って私もイラっとしたが、それを表に出しても良いことはないのて嫁の発言をスルーした。今のは嫁の独り言、ということにして聞こえていない振りをしたのだ。嫁は私に、正しいことを教えようとして発言したのではないだろう。ただイラっとした感情を愚痴って発散したかっただけなのだ。それを正面から受け止めても仕方がない。私のレタスの包み方がまずかったのなら、それは今後気をつけよう。私は嫁の指摘をうけて学び、改善すればよい。一時的にリビングに気まずい雰囲気が漂うが、それもすぐに元に戻るだろう。

知らない者の強み

しかしそこで思わぬことが起きた。普段、そういったことにはあまり興味のなさそうな息子が嫁に「レタスはサランラップで包んだらダメなの?なんで?」と質問したのだ。その質問を受けて嫁は「レタスのフィルムはレタスが長持ちするように作られているから」と説明し、息子は「へーそうなんだ」と納得した様子だった。

この何気ないやり取りに、私の目からうろこが落ちた。嫁の発言をスルーすればそれは「愚痴」で終わる。「愚痴」は独り言に過ぎないが、言った方も言われた方も負の感情を伴うのでその場の雰囲気が悪くなるし、そこからは何も生み出さない。だが息子が嫁に質問したことで「愚痴」が「教え」に変わった。よほど間が悪くなければ、教えを請われた人は悪い気はしないだろう。自分の「教え」によって息子が成長することは、親にとっても喜びでもある。その結果、場の雰囲気は一気に改善して平和な夕食の時間を過ごすことが出来た。

ではなぜ私は息子のように、素直に質問ができなかったのだろうか。

私は嫁の言葉を『こんな常識知らないなんて馬鹿じゃないの?』といったニュアンスに受け取ったのだ。私は常識人であり、むしろ周りよりも嫁よりも頭が良く物事も良く知っているほうだと思っている。そのため嫁の言葉は私のプライドを傷つけ、「レタスの正しい包み方なんて常識じゃないので知らなくても私は馬鹿ではない」という自己防衛に走ったのだ。実は嫁も、ただ愚痴りたかっただけではなく、正しいことを教えようとしてくれていたのかもしれない。しかし相手を責めるような言い方であれば、言われる側に心理的な壁が生まれてしまい、学ぶ姿勢をもつことはできない。

逆に息子は家事全般は経験が浅く、余った野菜をラップで包むことすら知らない。家事全般に対して基本的な知識や常識がないことを自分で自覚していて、そこにはプライドも何もない。そのため素直に「なぜレタスにラップがダメか」を質問することができた、というわけだ。質問して恥をかくこともなく、叱られたり失望されることもないので、分からない事を素直に質問できる。知らないからこその強みだ。

新入社員に与えられる、分からないものは何でも聞いていい、という特権に似ている。

分からないことを聞くのに特権は必要ない

しかしこの日の出来事を振り返って、実はそのような特権なんて存在しないのだ、という結論に至った。

分からない事を質問して、恥をかいたり失望されても気にしてはいけない。それらの多くが質問する側の思い込みに過ぎず、優れていると思われたいという自尊心・プライドを傷つけられることに対する過剰な自己防衛だ。だって常識は人それぞれで違うのだから。その業界で100人中99人が知っていることを、あなたが知らないということは十分に起こりえる。「え、そんなことも知らないの?」と驚かれたとしても、不勉強であった自分を恥じることはある。しかし知らないこと自体は恥ではない。

ただし知ったかぶりをしてその場をやり過ごした結果、間違った判断や行動に繋がって仕事で失敗したり誰かに迷惑をかけたら、それこそ印象が悪いし評価を落とすことになる。

必要なのは謙虚さだ。相手の感情的な愚痴にイラっとしても、こちらもあわせて感情的になることはない。知らないことは事実なのだ。それは恥ではなく、学ぶ機会を得たと喜ぼう。そして子供のような好奇心をもって、分からない事を質問すればよい。入社や転職したてという特権は、あくまで自己弁護のための言い訳に過ぎない。それを盾にして質問しやすくなるなら利用すればよいが、その盾がなくなったところで分からないことは聞かないといけないに変わりはない。ただ、その際に謝る必要ない。

①「それは知りませんでした」→知らなかったことを認める
「教えて頂き、ありがとうございます」→教えてもらったことに感謝する
③「もう少し詳しく教えて頂けますか」→さらに教えを乞い、前向きであることと向上心を示す

この三つの言葉を相手に伝えるだけで十分だ。

後日談:レタスはラップで包んでも良い

嫁と息子のやり取りから学びを得た後、気になってレタスの保存方法を調べたところ、レタスをラップで包んではダメ、という情報は見つからなかった。レタスを包むフィルムが、運搬の際にレタス同士が擦れることを防止し、また酸化や乾燥による痛みからレタスを守って鮮度を保つために開発された優れもの、ということはわかった。だが切ったレタスはジップロックに入れるかしっかりラップに包み、出来るだけ早く食べる方がよい。ちなみにレタスは包丁で切ると切り口から酸化しやすいので、食べる分だけ手でちぎると良いそうだ。

そうして私は、レタスの保存方法についてより深くを知ることが出来た。だがもちろん「レタスはラップで包んでもいいんだよ」などと無粋なことを嫁に言うことはない。それこそ嫁のプライドを不必要に傷つけて家庭の雰囲気を壊すだけだ。

さすがの私も、そういった常識は15年以上の結婚生活の中で習得済みだ。

タイトルとURLをコピーしました