退屈な日々が続く理由

人生をマネジメント
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中学2年生の頃の将来の夢は「エンジニア」だった。とはいえエンジニアという仕事の具体的な中身は分かっておらず、ただ何となくロボットを作る仕事がしたいと思っていただけだ。子供のころは家にテレビゲームがなく、一人遊びはもっぱらレゴブロックだったことが影響しているのだろう。

大学・大学院は工学を専攻した。大学の先輩のほとんどがメーカーに就職しており、同級生たちも多くはメーカーへの就職を狙っていた。大学の周りには自動車・家電メーカーが多く、選り好みしなければ大学推薦の枠を利用して内定をもらうことができた。私もその流れに乗っかるつもりだったが、練習のつもりでエントリーしたシステム開発会社について調べてていくうちにシステムエンジニアに興味を持った。

広い意味では、システムエンジニアもモノづくりをする仕事だ。ただしメーカーと違い、出来上がるものはシステムでありサービスであり、そのほとんどは手に取って見えるわけではない。その分「自動車」や「家電」といった型にはまらずいろいろなものを作ることが出来る。産業・金融・公共といった幅広い分野でシステムは基幹として動いているので、システムエンジニアになれば特手の分野に限らず、さまざまなモノづくりに関わることが出来る。

学生の頃は、就職した後どういった日々を送るのかうまくイメージできていなかった。今よりもインターネットが発達しておらず、各企業から学生への情報発信がずっと少ないこともあって、例えば自動車メーカーに就職すれば、ひたすら車を作り続ける日々を想像していた。私はモノづくりは好きだが自動車が好きと言うわけではない。しいて言えば懐中時計が好きで愛用していたので、自動車や自動車部品メーカーよりは時計メーカーのほうが性に合っているような気がしていた。とはいえ、就職してから40年以上も時計を作り続ける日々は、果たして幸せなのだろうか、と不安に感じていた。

そのため、型にはまらないモノづくりができるというシステムエンジニアに惹かれ、最初に内定をもらった今の会社に就職してすでに20年以上も経過した。システムエンジニアも会社によって専門分野があり、また私が就職した会社はしばらくして分社し金融分野に特化したため、結局はほぼクレジットカードに関するシステム開発をしてきた。ただ金融分野と一言で言っても様々なサービスやシステムが稼働しているので、新たな案件を担当するたびに新しい発見・経験があって飽きる事はない。キャッシュレス化やポイント経済圏の浸透によりクレジットカードの利用は一般化し、システムの多様性・重要度も増しているので、その分野のシステムエンジニアとしては日々遣り甲斐を感じているし、会社も業界も好調だ。総じて、あの時システムエンジニアへの就職を選んで正解だったと思う。

ただしそれはシステムエンジニアに限った話でもないだろう。メーカーのエンジニアも、日々新しい商品を開発したり、既存の商品をより良くするために働いている。メーカーが製造する機器もシステムを使っているので、結局はシステムエンジニアと仕事内容は変わらい。最終成果物や分野が違うため身に着く経験や必要な業務知識は異なるとしても、目標を達成すれば嬉しいだろうし、自己実現・自己成長の欲求を満たされれば幸福感も感じるのだ。

パン屋やカフェへのあこがれと現実

サラリーマン人生も折り返し地点を過ぎて、人生の後半について考え始めている。実際は65歳で定年し退職すると決まったわけでもないのだが、今の仕事をあと20年間続けるのかまだ分からない。退社・退職はしないにしても、どこかで職種・ジョブを変えないと精神的にも体力的にもしんどい気がしている。

定年後や早期退職したら田舎に移り住んでそこで自分達が食べる分の野菜を作って過ごす、またパン屋やカフェを開業する、といったよくあるセカンドライフにも惹かれている。子供が就職したら嫁と私の老後の生活費さえ稼ぐことが出来ればいいので、収入のためだけにしんどい仕事を続ける必要はない。望む生活スタイルにシフトするために今からその準備を始めてもいい。実際にパン屋を開業するかは分からないが、趣味と実益を兼ねてパン教室に通ってみようかと思っている。

ただ当然のことながら、農業を始めるにしても、パン屋やカフェを開業するにしても、決して楽しい毎日が約束されているわけではない。

パン屋では毎日朝からパンを焼かなければならない。焼き立てパンは美味しいし、その匂いに包まれて過ごすのは幸せだろう。だがある程度の収入を得ようと思うなら、毎日数百個のパンを焼いてそれを売り切らなければならない。開店時間に一通りのパンを並べておく必要があるし、昼や夕方などは時間によって売れ筋が変わってくるので、朝早くから夕方までずっと慌ただしい。ひたすらパン生地をこねて成型し、具を包んでオーブンで焼いていく。焼けたら陳列し、足りなくなればまた焼いていく。その日の営業が終わったら次の日の仕込みを始める。雨の日は客足が遠のくし、都市部のパン屋も過密気味で競合が多いので、安定してお客さんが買いに来てくれるとは限らない。売れ残れば廃棄しなければならず、廃棄が増えれば収入が減るので赤字になる。美味しくても高すぎると買ってもらえないだろうから、収支のバランスと葛藤しながらパンを焼いていく。初めはパンを焼くだけで楽しかったのに、いつしか当初の目的や願望を忘れ、売れ残りを廃棄するストレスに悩み、苦痛の日々を送ることにならないか。そして最終的には考える事を放棄し、何も考えずに黙々と作業をこなすだけになってしまわないか。

カフェを開業するにしても、一定数の客が継続して見込めなければ安定した収入を得ることはできない。インスタ映えする人気メニューで流行るカフェは一握りで、多くは常連に支えられている。かといってコーヒー一杯で数時間粘られると顧客単価が下がるので、食パンやコーヒー豆も販売して収入の足しにしなければ成り立たないかもしれない。美味しいコーヒーと居心地の良いゆったりとした時間を提供するには、コストを上げるか低コストで運営するための秘策が必要になる。

システムエンジニアの仕事には、基本的には正解がある。そして正しい手順をふめば高い確率で正解に近づくことが出来る。為すべきことをして目的を達成すれば評価されて成果を得ることが出来る。20年も働いていれば、プレイヤーとしての成功法則は分かっている。だがパン屋やカフェ、農業など、人や自然を相手にする仕事はそうはいかない。小売り業にも成功法則はあるだろうが、理解して身に着けるには時間がかかるだろうし、その法則にしたがえば100%成功するわけではない。個人事業であれば、なおさらリスクを個人で背負わなければならない。

新しくやりたい事を実現するためには、クリアしなければならないハードルはとても多い。本気でセカンドライフを考え始めるとすぐに、理想と現実との大きなギャップが立ちはだかる。現状とのギャップ、変化が大きくなるほど、ギャップを埋めるために入念な準備が必要になるし、時間もかかる事だろう。

仕事に何を求めるか

退職してパン屋を始めることを考えた時、朝から晩まで毎日パンを焼き続ける日々を想像し、その日々がずっと続くのは正直辛いな、と思った。そしてこの思いは二十数年前、就職活動中にメーカーに就職した後のことを想像した時ととてもよく似ていた。よく知っている作業であればそこに不安はない。不安がなく、好きなモノに囲まれ、好きなことをし続けることができる人生は幸せなのかもしれない。だが、どんな仕事であっても毎日代わり映えのないルーティーンの繰り返しはひどく退屈だ。そんな日々が何年も続くなんて私は耐えられない。

実際システムエンジニアとしての20年間を振り返ってみると、同じことの繰り返し、なんてことは一日たりともなかった。保守切れや障害対応、定例作業など過去の経験を活かすことで、効率よく進められることは多い。だがシステムは生き物だし、結局は人を相手にする仕事で且つ関係者・関係システムが多岐にわたってくると不測の事態が発生することが多く、さまざまな調整・検討が必要になる。そんな中では、これまで培ったノウハウや知識・経験を活用し、また不明点は不足する知識は有識者に確認したり自ら調べて補うことで課題を一つずつ解決していくことが求められる。そして案件やタスクを円滑に推進し、最終的には新サービスのリリースや障害復旧、システムの安定稼働、というゴールに導く。その結果、自身の成長を感じ、周りから認めてもらえることで自己実現・承認欲求を満たすことができる。ひるまず、積極的かつ主体的に事に当たる事で課題を解決する、そこに私の価値と存在理由があるのだと思っている。私にはPCDAサイクルを回したり、トライ&エラーで試行錯誤するスタイルがあっているのだろう。

そして当然ながら、そういった正解までの道筋が決まっていない仕事のほうが価値があり、報酬も高い。それはすぐに代わりが利かないからだ。決められた手順通りに作業をこなし、想定外のことがあったら「手順に無いから分からない」と言って手を止めて報告だけすればよいのなら誰だってできる。言われたことを指示通りにすることも社会の歯車の一つとしては大事なことだ。だがその歯車が壊れてもすぐに交換できてしまうのならば高い報酬を払ってまで労働力をキープする必要はない。重要な歯車は柔軟性も耐久性も必要なので、もし壊れてもすぐに交換することはできない。

パン屋を開業するにしても、毎日なにも考えずにルーティーンを繰り返すだけではきっと成功はしない。一時的に利益が出ることはあっても、想定外の問題や変化があれば、それらを解決するには積極性・主体性が欠かせない。パンを焼くこと、客に喜んでもらうことをモチベーションの源泉にしながら、PCDAサイクルを回したり、トライ&エラーで試行錯誤し続けられてこそ、成功に近づくことが出来る。

どういった働き方を求めるかは個人の自由だし、責任が重い仕事には耐えられない、という人もいるだろう。報酬が少なくても、その報酬相応の生活に満足できていれば何も言うことはない。だが仕事にやりがいがない、面白くない、退屈だ、と嘆く前に、目の前の仕事に対して主体性・積極性を持って事に当たれば、自然とやりがいや面白みが出てくるものだ。富裕層と貧困層の二極化は、多くの場合は働く側の意識によって生じているのだと思う。仮に私が本気でパン屋を始めたとしても、きっと何も考えずにただパンを焼く日々を繰り返す、とはならない。

限りある人生において、毎週5日間、1日8時間以上も仕事に費やすのなら、退屈ではなく面白みを持って過ごしたほうが良い。同じ仕事、作業であっても、主体性・積極性を持てば全く違ったものになるし、そうして過ごした日々の積み重ねが人生を大きく変えていく。きっとセカンドライフの幸せ・充実にも繋がっていくことだろう。

仕事が退屈で面白みがないのではない。仕事に仕方、取り組み方がポイントなのだ。

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