2024年、新しいことを始めよう

人生をマネジメント
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気づけば2024年も4分の一が終わってしまった。40代に入ってからはますます月日が流れるのが早く、きっと今年も”2024″という数字に慣れる前に”2025″に変わってしまうのだろう。

40代と言えば仕事ではそれなりのポジションを任され、また家庭でも子供の様々なイベントが立て続けに発生するため、目の前のタスクに忙殺されている人も多い事だろう。私もその一人だが、それが自身のスキルアップや会社からの評価・給与、子供の成長などの結果に結びついていれば充実した人生を送っているともいえる。だが仕事も育児もいつかは終わりが来る。あと10年もすれば子供は成人し、おそらく15年後は社会人として独り立ちしており、一緒に暮らしている可能性は高くはないだろう。

40代は人生における繁忙期だが、50代になっても仕事・家庭で今と同じような充実した日々が待っている保証はない。そうこう言う間に20年後には定年がやってくる。その頃には定年という概念自体がなくなっているだろうし、今の会社に勤めているか分からないのだが、少なくとも今よりは確実に仕事や育児に対する比重は下がっていき、自分の時間が増えていくだろう。ひょっとしたら転職や会社での立場・環境の変化によっては、仕事への比重が増すこともあるかもしれない。今がずっと続くなんてことはない。

そう考え始めると、充実感・遣り甲斐を感じていたとしても、目の前のタスクに忙殺されて同じような毎日をただ繰り返すことには焦燥を感じる。人は急には変われない。進学や就職でに伴って子供が家を出ると嫁との二人暮らしが始まる。定年退職すれば次の日から社会との接点が極端に減る。健康でかつ嫁と良好な関係が気付けていれば一旦ゆっくりと落ち着いて次を考えても良いが、再就職先や新しい趣味など、探そうとしてすぐに見つかるとは限らない。時間がたって歳を重ねればそれだけ選択肢は減っていくし、ぐずぐずしていてはタイミングを失いかねない。

何歳まで生きるかなんてわからないが、祖父母が100歳近くまで長生きしていることから私も90歳以上生きる可能性は考えておかなければいけない。その場合、65歳で定年してもまた30年近く人生が続くのだ。焦る必要はないとしても、この30年間をダラダラと何もせずに過ごしてしまっては、それは充実した人生とは言えない。その時に私が残りの人生に対してなにを考えているか想像もつかないが、今から備えておいても決して損はないだろう。

人生の後半をより充実させるための種まき

私は毎年100の目標を作っている。目標というと大げさだが、やりたいと思ったこと、興味を持ったことを羅列したに過ぎない。そのためこの目標に縛られる必要はない。ただ、想いを文字にして一定期間ごとに振り返るだけで空き時間や余暇の過ごし方を変えるきっかけにはなる。そして毎年作った目標を翌年に振り返り、また新しい目標を立てることを繰り返すだけでも意味がある。100個にこだわる必要もない。

2023年は「パンシェルジュ検定2級」に合格し、また100名城スタンプを新たに2個ゲットした。また新しいパン屋さんもたくさん発掘したし、夏休みには石垣島旅行にも行った。ITストラテジスト資格は断念したが、参考書を買って読んだことでITストラテジストの役割や考え方を知った。こういった些細な事でも、一つずつできたことを振り返るだけで2023年が、目の前のことに忙殺されていただけの毎日ではなかったことを確認できる。それは将来だけではなく、日々の充実感を満たす効果もある。

出来なかったも、引き続き達成したいと思えば今年の目標として残せばよい。誰かに目標達成を約束するわけでも、強制されるわけでもない。自分の人生を歩む上での指針になる。金銭や時間といった制約はあるにしても、日々をどう生きるかは個人の自由で、仕事・育児・家事・睡眠といった優先順位の高いタスク以外に何をするかは自己判断となる。自由だからこそ、指針がなければ何も為すことなく日々は過ぎていく。

仮に90歳まで長生きした場合、私は今まさに折り返し地点にいる。このまま今と同じ仕事を続けて定年まで勤めあげ、家族を養っていく人生も決して悪くはないし、充実した日々ではあるだろう。だが例え50歳に近づく年齢であっても可能性は無限大だ。どんな出会い・きっかけで人生が変わるか分からないし、その変化によって残りの人生が更に充実したものに変わっていくこともある。決して劇的な変化を求めているわけでも、転職・起業・一攫千金を目指しているわけでもない。だが前向きな変化を受け入れることでより前向きに人生を歩めるなら、その方が楽しい人生を過ごせるのではないだろうか。

そう思えば、長い人生において今がまさに数十年後の刈り取りを目指して種をまく時期だといえる。65歳になって急に生き方や生活スタイルを変えるのは難しい。少しずつ種をまき、その芽を育てておくことは、人生後半の充実した日々のための準備となる。あらかじめ助走しておけばスタートダッシュになるし、いざという時には自分のペースで焦らずに人生を歩むこともできる。

何もしなければ経験値はゼロのままで、ゼロには何をかけてもやはりゼロだ。だがなにかを始めれば結果が伴わなくても経験値はイチになる。イチを2倍すれば2になるし、さらに2を2倍すれば4になる。まずゼロをイチにすることが重要であり、すぐに結果がでないとしても”とりあえずやってみる”ことに意味がある。

献血に行ってみた

今年の3月、2010年以来の献血をした。驚くことに赤十字血液センターにはそれ以前の記録が残っていて、2022年、2010年に続いて今回が3回目の献血だった。10年以上も間を開けてなぜいま献血なのかというと、きっかけはコロナ禍で献血が減っているというニュースと、駅前の献血カー前で献血の募集をしている人たちを見かけたこと。そして「ボランティア」をしたい、という思いが湧いたことだ。

今年の1月に能登で地震があり、ボランティア活動のタイミングや内容については多くの課題や議論があることを知った。ボランティア活動は偽善だという意見についてはあえて否定はしない。ボランティアは人のためではあるが”人のために何かをして喜んでもらいたい、感謝されたい”という”自己実現欲求”や”承認欲求”を満たすことでもある。”自己実現”や”承認”に対する欲求は、私にとって「仕事」に対する考え方、モチベーションの源泉と重なっているので、ボランティアによってそういった欲求を満たしたいという思いも理解できる。

愛読している「夢をかなえるゾウ」の中で、ガネーシャの2日目の課題に『コンビニでお釣りを募金する』というものがある。課題自体は特別難しいわけではないが、お金を見ず知らずの誰かに提供するのはなんとなく心理的に抵抗があり、この課題はクリアできないままだった。それならばボランティアとして労働力を提供すればよいかとも思ったが、実際にボランティアに参加しようとしてもどうすればよいか分からなし、拘束時間が長かったり、現地まで移動する手間暇にも抵抗感がある。

そこで献血だ。献血ルームで献血すると飲み物が飲み放題だったり、マンガが読めたり、Wifiも使えると言うことは聞いていた。また献血センターによってはマッサージチェアーが使えたり、DVDを見たりアイスクリームをもらえたり、ドリップ珈琲が飲めるところもあるという。

私の場合、最寄りの献血センターまで自転車で10分程度なので、家で過ごす代わりに献血センターで読書やJapanTimesAlphaを読んで献血が終わるのを待っていれば、飲み物が飲めてボランティアも出来て一石二鳥なわけだ。成分献血だと90分程度かかるのだが、赤血球が戻ってくるので体への負担が少なく推奨されていた。1時間程度なら新聞を読むにはちょうど良い時間だし、献血後に貧血になったりだるくなったりするリスクが減るのならそれに越したことはない。

だが一つ想定外のことがあった。初めて成分献血を受ける人は事前に心電図の検査を受ける必要があり、心電図を受けてそのあと成分献血をするにはトータルで90分以上かかってしまう。その日は10時30分に予約を取っており、90分想定で12時過ぎには終わると思って昼から予定を入れていたが、問診などが終わったのが11時時過ぎで、そこからは心電図検査を受けるとなると、献血の終了は1時を過ぎてしまう。そのため成分献血ではなく400ml献血に変更し、献血自体は10分程度で終わってしまった。

献血後は15分程度休憩する必要があり、そこで飲み物(水分補給のため3杯推奨)やお菓子を頂いたのだが、落ち着いて新聞を読むほどの時間はなかった。とはいえ、献血後に思たよりしんどさは感じることもなく、またアプリによって血液検査の結果が見れたりポイントがついたりお菓子をもらえたりと、得られるメリットが多いことも分かった。心理的なハードルも下がったため、次からはもっと効率的に献血できそうだ。これが経験値をゼロからイチにする、ということなのだ。

1つ目標をクリアして、次の目標へのモチベーションをあげていく

簡単なことでも、自ら課したハードルをクリアすれば自己肯定感が増して次のチャレンジへの意欲は増していく。去年のパンシェルジュ検定に続いてなにか資格や検定も受けたいのだが、今のところは何を受けるか決めかねている。

とりあえずは次の目標としては、今年新しく買ったオーブンレンジを使ってパンを焼いてみようかと思っている。本当は息子を誘ってパン教室に通いたいのだが春休み中に息子を説得することはできなかった。オーブンレンジにはパンを発酵させるモードがついているので、レシピに従えば思ったより簡単にパンが焼けそうだ。

時が経つのが早いとはいえ、2024年はまだあと9ヵ月もあるのだ。日々の生活とこれから先に人生の充実に繋がる経験を一つでも多く積んでいきたい。

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