周りに「悪人」はいるか

ビジネススキルをマネジメント
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「悪人」とはなんだろう。ドラマや映画に登場する「悪人」は、私利私欲のために人を傷つけ、また損害を与える。利己的であり、自分が良ければ他の人はどうなっても良いと考える。そういった行為をして逮捕されれば、当然ながらそれ相応の罪に問われることになる。だが立場が変われば味方も変わる。例えばロシアおプーチン大統領や、北朝鮮の金正恩総書記は悪人なのだろうか。彼らの主義主張から見ればウクライナやアメリカ、EU、NATOの方が悪かもしれない。

法に背けばそれは罪だ。罪を犯せば罪人となる。法は正しさの基準であり、法に背けば罰せられるのが法治国家である。その基準から外れると他の人に害を及ぼすと判断されて、それを防ぐために治安を維持する警察や、罪人を裁く裁判官が必要になる。彼らの判断基準は法である。

国際刑事裁判所は2023年3月17日に、ウクライナ侵攻をめぐる戦争犯罪容疑で、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領らに逮捕状を出した。国際刑事裁判所とは、国際社会全体の関心事であるもっとも重大な犯罪、すなわち集団殺害犯罪、人道に対する罪、戦争犯罪に問われる個人を訴追する国際機関だ。国際機関がプーチン大統領に罪があると認めたのだ。だがロシア側から見れば、ウクライナの反転攻勢によって多数のロシア兵が傷つき命を失っている今、ロシア国内にはゼレンスキー大統領を悪人だと考える人もいるだろう。

悪人の定義

私は、悪人とは「悪い人」ではなく「悪意を持った人」だと定義する。罪人=悪人ではない。とはいえ決して罪人を擁護するわけではない。罪は罪、法治国家においては罪を犯した者は裁かれ、その罪は償わなければならない。だがそれと悪意があるかどうかは、別の話だ。

仕事において、横領やインサイダー取引は分かりやすい犯罪だ。またセクハラ・パワハラも場合によっては犯罪となって名誉棄損罪が適用される。個人情報や機密情報の流出も罪に問われる。法と言う明確なルール、基準に背けば罪人となるのは自明だ。そこに「自分の欲求を満たすためなら会社や同僚に損害を与えたり、迷惑をかけてもかまわない」という悪意があれば、それは問答無用で罪人=悪人となる。だが、コミュニケーションの延長、指導の延長のつもりがセクハラ・パワハラに至ってしまった場合など、そこに悪意がなければ罪人=悪人とは言い切れない。

逆に言えば、罪に問われなくても誰かを困らせようとして「適切に情報を与えない」「間違った情報を伝える」といった行為は悪といって良い。自分の失敗を、自己擁護や保身のために会社や上司に報告しないことも同様だ。セクハラ・パワハラ・モラハラも、そこに悪意があればやはり悪となる。

だが「適切に情報を与えない」「間違った情報を伝える」「上司への報告を怠る」「セクハラ・パワハラ・モラハラで相手を傷つける」といった行為に悪意がなかった場合、それは「悪」ではなくただの「無知」であり、「判断力の欠如」という個人の能力の問題になる。もしくは「適切な教育を怠った」という意味でマネジメントの問題になる場合もあるだろう。

仕事と悪人

さて、ではあらためて、仕事をする上で周りに悪人はいるのか?と考える。

これまで20年以上の社会人人生を振り返って見れば、トラブルを起こした人、判断を誤って関係者に迷惑をかけた人、モラハラまがいの発言で周りを傷つけた人など、いろんな人と仕事をしてきた。また私自身、精神的に追い詰められるような上司や顧客に苦しんだ経験もある。だが「彼ら彼女らは悪人だったのか?」と問われれば、私の答えはNoだ。

もちろん相手の心の奥底は誰にもわからないので、悪意を持って人を害していた人もいるかもしれない。私を陥れようとした人もいたのかもしれない。私が気づかなかっただけで、他の人なら相手の振る舞い・言動に悪意を感じることもあるだろう。しかし少なくとも私は一緒に仕事をしてきた皆がそれぞれ、自分の主義主張に従って良かれと思って行動していたのだと思っている。もしくは適切な教育がされず、もしくは能力以上の仕事にアサインされたことで、無知によって周りに迷惑をかけていたケース、そのどちらかであり、悪意があったようには思っていない。

悪意はないと考え、悪意がないことを伝えよう

自分を責める相手が悪人であり、自分はその人に責められる被害者だ、という構図にしてしまうと「自分は悪くない」という言い訳になってしまう。仕事が遅れるのも相手のせいだと責任転嫁をしてしまい、その結果、成果を出せなければ評価が下がるのは自分自身だ。仕事をアサインした側からすれば、相手はどうあれ計画通りに成果を出してくれればそれでよいのだ。また、悪人だと思っている人と仕事を続けるのは辛いことだ。精神的に追い詰められて、心身ともに不調をきたすこともあるだろう。

そこで「相手に悪意はないのだ」と考える。悪意ではなく正しさを基準に行動しているだけで、自分がその基準を満たしていないがために責められたり、質問や依頼に応えてもらえないのだ。では相手の基準とはなんだろう。それは相手の立場、職務、所管、担当領域によって様々なので、相手の立場に立って想像し、理解に努めなければならない。分からなければ素直に質問・相談をしてみてもいい。教えることは「必要とされたい」という欲求を叶えることに繋がるため、意外と丁寧に教えてくれる人も多いものだ。その上で、自身の行動・振る舞いを改善する。より良くしようと考えれば仕事に対してポジティブになるし、うまくいけば仕事にも楽しさが生まれる。

それと同時に、自分自身に悪意がないかどうかも省みなければならない。自分には悪意はなかったとして、相手にそれが伝わらなければやはりうまくいかない。相手を理解し、尊重し、礼儀をもって接することが出来ているか。自己中心的で、利己的な行動をしてはいないか。自身の立場は背景を理解してもらう努力をしたかどうか。悪意に対して善意で応えてくれる人などいない。

相手または自分の「能力がない」ゆえに誤った判断をしていることもある。そういうときは、上司や関係者に相談し、客観的に判断をしてもらう。できればお互いにとって立場が少し上の人に相談するのが望ましい。当事者同士だと感情的になりかねないし、お互いの言い分を理解しあうことが難しいので解決・改善に至るのは難しい。相談相手に権限があれば、判断し・決定してもらうこともできる。

悪人はいるのかもしれない。だが、悪人ではないと考えて出来ることをすると、思ったよりもずっとうまくいく。なにより気持ちが楽になるので、対人関係で苦しんでいる人にはまず、考え方を変えてみることを勧めたい。

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