2023年度の業績評価のフィードバックがあった。結論から言うと、今年も例年と同様に「評価すれども昇給なし」だ。
給与ランクの上限に達しているのでランクアップしなければ昇給はない、という話をここ数年聞かされ続けてきた。昨年、人事部長からは「出向先でも管理職としての実績・評価が得られれば給与ランクが上がる可能性はある」との説明をうけて、この1年はチームリーダとして管理・育成に重きを置いてきた。そして双方で成果を残せた自負がある。年度末の出向先へのヒアリングでも、管理職として十分に評価できると回答してもらえた。
だが今年もランクアップはなかった。賞与は上がったので昨年度の実績については一定の評価をしてもらった。だが、ランクアップできなかった理由を問うとたところ「自社であれば次長、出向先であればグループ長でなければランクアップはしない」というニュアンスに変わった。
ランクアップや役職・ポストの問題は出向者だけではない。案件や人間関係、会社の方針、組織構成などによってポストは増減し、そのポストにアサインされるには個々の能力だけでなくタイミングも重要だ。そして私だけでなく、ポストがないことで役職につけない、ランクアップできない人が多数いるのだと、人事部長は説明した。
ランクアップ・昇格は諦めた
言わんとしていることは分かる。次長程度ならばポストはそこまで少ないわけではない。一定の能力と意欲があれば、年次に応じてポストが回ってくるタイミングがやってくる。ポストが空かないから上がれない、ということはそもそもタイミングを逃してしまった、ということだ。
実際、私の同期や後輩は30代後半には続々と次長に昇格し、一部はすでに部長にすらなっている。リーダとして経験を積み、成果を残し、能力・意欲があることを示せば自然と次長候補になる。そして40代・50代が昇格、または管理職として一線を退くタイミングで次長に昇格する。
だが私はこのレールを外れ、30代後半から10年以上も出向になった。もっと早くに帰任したいと申し入れたら元のレールに戻ることもできたのかもしれないが、そのことにちゃんと気づいたのは出向先が運用会社から事業会社に変わってからだ。その時点で40代になっており、そこから出向者の立場でポスト争いに参戦しようと足掻いても時すでに遅しだ。
出向先でグループ長を目指そうにも、今年グループ長に昇格した面々は皆私よりも若い。事業会社としても、これから会社を支えていく人材を育てるためには若手を積極的に管理職に登用したいと思うのは当然だ。そんな中で45歳の出向者が管理職のポストに就くなんてよっぽどのことだし、そもそも業務知識や経験の面で勝負にならない。出向先は変われども私は20年以上SEとして生きていて、私の主戦場はやはりそこなのだ。
周りを見渡せば、会社の主役・主戦力はそういった若手なのだと思い知らされる。ポストがなくランクアップできずにくすぶっている中堅社員はお呼びではないのだ。主要キャストに入るタイミングを逃した私がポストを得てランクアップするなんてことは、よほどの幸運、想定外がなければ永遠にない。
本気で人事部にかけあえば出向を終えて帰任することはできるだろう。会社も従業員に無理強いはできない。だがそうしたところで、システム開発の第一線で経験を積んできた若手と競うには分が悪いし、同じ土俵に立てるかどうかもわからない。競うならばこの10年の出向経験が武器にならなるような条件でなければならないが、そんな好条件がやってくることはそうはない。にもかかわらず、会社や人事部と揉めて出向先にも迷惑をかけて帰任するのは、得るものは少なく失うものは大きい。
そして何より、今からそういった逆境を跳ねのけてまでランクアップを目指すような熱量もない。今更人の何倍も努力し、担当するシステム・案件とは別にプラスアルファの知識・経験を身に着け、炎上している案件や仕事に自ら飛び込んで名前を売るなんてことはできないし、やりたくもない。仕事に対するやる気・責任感・やりがいがないわけではないが、この1年間の評価と今の私のモチベーションを鑑みると、正直なところランクアップ・昇格は諦めたほうが良いのだろう。
これからの20年、どう生きるか
会社や仕事で主役にならなければ充実した幸せな人生を送ることが出来ない、なんてことはない。主役になるということは給料だけでなく責任やストレスも増えるため、人生における仕事・会社の影響、重要度は増していく。そして最終的に役員や取締役にでもなれば雇われる側から雇う側に立ちがが変わり、その時点は会社は人生の一部になる。そのため家庭よりも仕事上のイベントを優先せざるを得ない事も増えていく。そう考えれば、出世のレールから外れたことは悪い事ばかりではなく、自分の人生をより自分自身でコントロールできるのだと、前向きにとらえることもできる。
10年間の出向によって、私の出向元へのエンゲージメントは低下する一方だ。年数回の面談では「評価はしているが頭打ち」の説明を受けるだけ。それ以外に出向元から得るものは特にないし、もはや何も期待していない。成果に見合った給料をもらえれば十分だ。またコロナ禍で在宅勤務が増えたことで家族と過ごすことの意味・意義は高まり、ワークライフバランスはますますライフに傾いている。仕事は嫌ではないし、やりがいがあり充実感も感じているが、何より家族と過ごすプライベートな時間を犠牲にするつもりはない。
この数年間ランクアップは目指していたものの、そもそも出世・役職自体にこだわっているわけでも、積極的に人の上に立ちたいわけでもない。昔から自分はサブリーダーのポジションがあっていると思っていた。先頭になって皆を引っ張るよりも、皆を支えて組織力を上げる役回りのほうが性に合っている。ただそれでも停滞=退化と同じであり、動かなければ現状維持すらできない事を知っている。それゆえ、立ち止まって停滞することがないよう、自ら歩を前に進めてきただけなのだ。
私はまだ45歳だ。会社では中堅・ベテランと呼ばれる年代になってはいても、給料・評価・能力・経験など、様々な面で立ち止まるのはまだ早い。定年が65歳だとすればまだ20年先があるし、そしてなにも定年をゴールと考える必要もない。
85歳まで生きるならば、これからの40年をどう過ごすか、どう生きるかを考えたい。ランクアップ・昇給を引き換えにして会社に束縛される人生を歩まないのであれば、仕事における損得ではなく、これから40年間を生きていくのに何がプラスになるのかを考えたい。知識や経験だけではなく、嫁や子供との関係、自身の健康、趣味、社会貢献、承認欲求。様々な観点において、短期・中期・長期的にみてプラスになることを選択していきたい。
主役になれないからと言って人生をあきらめる必要はない。むしろ自分の一生に向き合い、これから自分の人生をどう歩んでいくか考えるべきスタート地点に立ったのだ。
ある意味、可能性も選択肢も無限大だ。