早いもので2023年も終わりに近づいている。まだ1年を振り返るには少し早いが、今年はよくお金を使った年だった。コロナ明けで行動制限がなくなったことも関係しているかしれないが、夏休みは勤続20年のリフレッシュ休暇の消化を兼ねて石垣島に2泊3日の弾丸旅行に行った。倉敷に新幹線で日帰り旅行に行ったし、12月には1泊で温泉旅行に行く計画も立てている。他にも窓の断熱工事といった大きめの出費があった(断熱工事は費用の半分以上が補助されるが)。
なにより日々の生活において物を買う時の基準が大きく変わった。無駄な支出はできるだけ減らしたいのだが、目先の節約よりも、購入したことで得られる価値を如何に最大化することに重きを置くようになったと思う。
いくら払うかではなく、どれだけの価値を得られたか
在宅勤務や土日の昼食をインスタントラーメンで済ませる場合、冷凍野菜や卵をトッピングすればお手軽にある程度の栄養は摂取できて、費用も200円程度に収まる。ラーメンは嫌いではないからそういった昼食も悪くはないが、たまにカフェに行って一食1,200円のランチを食べるのと比べれば、昼食から得られる価値・満足感は全く変わってくる。
食事自体のおいしさもあるが、お店の雰囲気や食後のコーヒーでリラックスできるし、昼食時に外出すればリフレッシュにもなる。嫁とカフェに行けば二人で特別な時間を共有できるし、お店で見聞きしたことは経験値となって情報として蓄えられ、何かのアウトプットにも繋がる。人生における満足度が変わってくるのだ。
また、以前はカフェに行っても1,000円を超えるメニューは敬遠しがちで、本当に食べたいメニューは別にあるのに980円のお手頃ランチを注文することもあった。今は少しだけ躊躇しつつも、体と心に「今食べたいもの、求めているもの」を問いかけて、自分の気持ちを優先するようにした。そのあとで値段を確認し、払う金額と得られる価値・満足感を天秤にかけてからメニューを選択する。せっかくカフェに来たのに200円を節約して食べたいものを我慢するのは逆にもったいない。今は、得られる経験値・価値を如何に最大化できるか、が判断基準になった。
といっても毎週末外食に行くようなことはしない。最近の物価高や値上げもあって、ファミレスであっても家族4人で食事をすれば5,000円近くになるし、そこに非日常や特別感がなければ、得られる価値はたかが知れている。どうせ外食をするなら特別なタイミングで、非日常なものを食べたほうが記憶に残るし思い出になったほうが良い。
祖父の死で変わった価値観
今年の1月、父方の祖父が100歳で亡くなった。最後は軽度の認知症で介護施設にお世話になっていたが、自分で歩行や食事もとれていて、天寿を全うした形だ。そして97歳になる祖母は今年の夏に骨折したことで歩行が困難となったため、同じ施設に入所することになった。そのためこれまで祖父母の介護をしていた両親の介護負担はぐっと下がって、二人は自由な時間を取り戻した。
だが両親もすでに70代であり、元気ではあるが若くはない。子供を連れて帰省しても、丸一日娯楽施設で過ごすのは負担が大きい。自由な時間があっても、その時間をすべて自由に思い通りに使えるわけではない。
両親と最後に旅行に行ったのはいつだっただろう。少なくとも高校に入ってからは、母方の実家への帰省を除けば家族旅行には行っていない。二つ年上の姉が大学受験だったし、そのあと姉は実家を離れて一人暮らしとなった。そして私も追うように大学受験をして、実家を離れた。
そう考えると、今中学生の息子と一緒に過ごす時間はあと数年もないかもしれない。今のところは地元志向で一人暮らしは想定していない息子だが、これから成長するにつれて自立していくし、どこに進学するかも分からない。私と同様に、大学に入って一人暮らしをするのであれば、大学受験前は多忙になる事も考えると残された時間は3年程度。その間に娘の中学受験もあるので、家族4人で旅行に行けるのは実質2年間しかないのかもしれない。
「いつか北海道に行きたいね」「いつか沖縄に行きたいね」
その「いつか」は、具体的な行動に移さなければ永遠にやってこないのだ。子供が大学生になった後、社会人になった後でも、都合が合えばまた4人で旅行に行ける日もあるかもしれない。だが私が両親と最後に旅行して30年が経とうとしているように、それはまた不確実な未来だ。私たち夫婦や子供になにかアクシデントが起こる可能性もある。だからこそ、ここ数年はとても貴重であり、出来るだけ家族と過ごすことを重視している。家族に対してお金を使う、投資するタイミングが今なのだ。
価値観の変化を不安がる家族
コロナ禍で家族で過ごす時間が増えたことも、私の中での優先順位が変わったきっかけの一つだろう。ワークライフバランスで言えば「ライフ」に重きを置くようになった。またコロナだけが原因ではなく様々なライフイベントや、遡って3年前に母方の祖母が亡くなったことも、今年の祖父の死と繋がって私の価値観は変わっていった。
日々のストレスを軽減したり、生活の質を向上するための支出は惜しまない。食事も娯楽も、量より質を求めるようになった。無計画に節約して貯蓄を増やすばかりではない。貯蓄は目的が大事であり、ライフプランに沿って必要な分は貯蓄するが、過度なリスクは保険でカバーすれば収入を有効に活用できる。将来に備えつつも今を全力で充実させること。私たちは過去でも未来でもなく、今を生きている。そのために仕事をして収入を得ていると言っても過言ではない。
だが私の価値観、行動の変化は家族に不安を与えたようだ。以前の私かなりケチで、事あるごとに少しでも安いほうを選択していた。新婚旅行でエジプトに行った際は、ピラミッドの前でラクダに乗って写真を撮る機会を断ったほどだ。食事も衣類も家電も娯楽も、金額が大きくなれば支出をためらっていた。そんな父・夫が今年は気前よくお金を使うようになったものだから、何か裏があるのでは?と嫁と息子が危惧していた。特に嫁は私の健康不安を疑っていた。生き急いでいるように見えたのだろう。
今を充実させることに重きを置くことにした、ということは「生き急ぐ」ことと実質的な差はないのだが、いらぬ不安を与えてしまっては日々の楽しみも半減してしまう。そのため改めて家族に対して、今の私の価値観を説明しておいた。息子にはまだ私の気持ちは分からないだろうが、気兼ねなく今を楽しんでくれたらそれでいい。
来年も精一杯楽しもう
子供たちと過ごす時間にも限りがあるが、両親と過ごす時間もあとどれだけ残っているか分からない。来年は家族4人で北海道旅行に行ければ、と考えているが、それとは別に両親を大阪に招待したり、また私の家族と両親とで、6人で旅行に行くのも良いかもしれない。
皆が元気なうちに、悔いを残さず、来年も「今」を充実させて精一杯楽しもうと思う。