一回り以上年の離れた友人がいる。
出会い
テニススクールの同じクラスで初めて出会い、気付けばもう10年以上の付き合いになる。彼は地元民であり、そのテニススクールには学校の同級生も通っていた。営業職をしていたため顔が広く、また社交的で親しみやすい。すでに定年退職しているが会社関連の繋がりも生きていて、地域の友人や飲み友達も多い。
私はあまり社交的なタイプではなく、テニス中に積極的に周りに話しかけることはない。また結婚を機に大阪市内に住むようになったが、ご近所づきあいも地域のイベントもあまりないので、大阪には友人と呼べる人はいなかった。テニススクールのメンバやコーチとも、レッスン時間しか接点がなかった。そんな私に彼は、コートを予約するので一緒にテニスをしないかと誘ってくれた。
後から聞いた話では、テニスや飲み仲間としてしがらみのないメンバーを探していたらしい。一人に声をかけると仲良しグループも一緒についてくるなら、テニスをするにも1面では足りなくなる。そのあと飲みに行こうにも人数分の席を確保する必要があり、いろいろと制約が増えてしまう。テニスをするにも飲みに行くにも、4~5人が一番動きやすい。
そんな彼のお眼鏡にかない、年に数回テニスをしたり、飲みに行くようになった。彼が主催したテニスの練習会や飲み会にはいろいろな人が参加していたが、誰もが彼の中の人選基準を満たしていたため、基本的な考え方や温度感が合っていてとても居心地が良い。おかげで私も仕事以外で様々な年代、職業の人たちと交流することが出来た。年代や家族構成、仕事内容によって多様なライフイベント、人間関係があり、それぞれの話を聞くことはとても刺激にもなった。地元の友人や会社での飲み会は、どうしても話題が偏ってしまう。彼と知り合ったことで、私も知り合いが増えただけでなく、人としての幅も広げることが出来た。
また、ありがたいことに彼は私含めた3人をその集まりのオリジナルメンバーと呼んで、気心知れた仲間少数で厳選して飲みに行く際にも誘ってもらえる。年数回だが、私もとても楽しみな集まりになっている。
ポリシー
ずっと疑問に思っていた。なぜ彼は私に声をかけてくれ、またそのあともいろいろと誘ってくれるのだろうか。そしてまた、なぜ私は彼と過ごす時間の居心地が良いのだろうか。10年も付き合いがあればお互いが良く分かり、遠慮や気遣いもせずに気楽に過ごすことが出来る、ということはある。だがそもそも居心地が悪ければ、10年も付き合いは続かない。誘われても理由をつけて断ることはできるし、何度か断れば相手も察して誘われることもなくなっていく。
彼と先日飲みに行った際に、その疑問の答えが分かったような気がした。彼は定年後、保育士のアルバイトをしている。アルバイトとはいっても平日はほぼ毎日仕事があるため忙しいらしい。子育てもひと段落しているので、土日やアルバイトが休みの際は、青春18きっぷ等を活用して日本中を旅してまわっている。奥さんと二人の時もあるが、自由気ままな一人旅も好きだという。会社勤めをしていた時にできなかったことを、定年後に全力で楽しんでいるのだ。アルバイト先や奥さんに悪いと思う気持ちもあるが、これからどれだけ自由に生きていられるか分からないのだから、やりたい事を優先している、と言っていた。
昔から、迷ったら進むことをポリシーにしているんだ。うまくいくか保証もなく、失敗するかもしれない。進んだ結果後悔することになるかもしれない。でもやらなくたって後悔する可能性もある。同じ後悔なら、進んで後悔した方が良い。
そういうことか、と思った。私も同じだ。どうなるか分からず不安な時は、その不安が通り過ぎるのを待っているのは性に合わない。分からないならその不安の中へ歩みを進めて、不安の源泉を見つけて対処したほうがすっきりする。不安感をコントロールできれば安心するし、そこで失敗したとしても死ぬわけじゃない。チャレンジして失敗したって、後悔はしない。それなら常に積極的に、前のめりで生きていたいのだ。
テニスのプレーもそうだ。テニスは基本的にはミスをしない方が勝つ。実際テニススクールでも、ガンガン責めるよりも基本に忠実に、ミスなく確実に返球に徹する方が強い。だが私も彼も、常にチャンスボールを狙っている。前衛でボレーを決めるチャンスがあれば積極的に前に出るし、ボールが高く上がればスマッシュで打ち返す。その結果コートをオーバーしたり、ネットにかかって負けることも多々ある。だが、たかがテニスだ。失敗して失うものなどたかが知れているし、挽回するチャンスはいくらでもある。堅実に消極的に返そうとしたところで失敗することはあるし、そういった失敗はひどく後悔して、しばらく気持ちが沈んでしまう。満足してその時間を過ごしたければ、失敗を過度に恐れずに、積極的にチャレンジするほうが健全だ。
私も彼も、生きていく上での基本的なポリシーが同じなのだ。だからお互いの意見に共感し、一緒に過ごしていて楽しいのだろう。
人生の羅針盤
人生の2~3歩先を行くその彼は、私にとって一つの羅針盤でもある。仕事内容も家庭環境も異なるし、決して同じ人生などないが、彼もまた波乱万丈な人生を過ごしてきて、そして今もまた充実して幸せそうな毎日を生きている。
私の歩む道の先にどんな未来が待っているかは分からない。だが彼を見ていると少し安心する。「迷ったら進む」というポリシーを持って生きていくことは、決して間違ってはいない。むしろ私にとっては、そのポリシーこそが人勢の羅針盤なのだ。