「覚悟」をもって桃鉄をやっているか、という話

感情をマネジメント
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桃太郎電鉄(略して『桃鉄』)をやったことはあるだろうか。シリーズ1作目は私が小学生のころに販売され、今やシリーズ累計出荷数が1200本を超える国民的な人気ゲームだ。

プレーヤーは鉄道会社の社長となり、すごろくのようにサイコロを振って日本全国を巡る。ランダムで目的地に設定された都市に最初に到着すれば多額の援助金が貰え、また各都市で物件を購入して資産を増やしていく。最終的には総資産1位を目指す。

このゲームを盛り上げる要素に『貧乏神』と『カード』がある。

『貧乏神』は誰かが目的地に到着した時点で最も目的地から遠いプレーヤーに憑りつき、勝手に物件を売ったり要らないものを買ってきたりしてプレーヤーを困らせる。また『貧乏神』が『キングボンビー』に変身するとその悪行はさらにひどくなり、サイコロを振って出た目の分だけお金を払わされる(しかも数億円レベル)など、1位から一気に最下位に転落することもある。

『カード』はゲームを優位に進めるための道具で「移動系」や「攻撃系」など多くの種類がある。「移動系カード」はサイコロの数を増やしたり離れた都市に飛んだりすることで、早く目的地に到着するためにとても有用だ。「攻撃系カード」は他のプレーヤーからお金やカードを奪ったり『貧乏神』を擦り付けるなど、上位のプレーヤーを邪魔出来る。

『桃鉄』は運だけでなく、戦略的な要素が多分にあるが、基本はすごろくなのでルールは簡単だ。そのため大人から子供まで楽しめ、我が家でも週末になると皆が夢中になる。ただ勝利への欲求のあまり「攻撃系カード」を多用しすぎると雰囲気が悪くなり、1位になっても誰も祝福してもらえない。

1位を目指しながらも周りの雰囲気に注意し、忖度することが求められるゲームなのだ。

勝ちたい、という気持ちは悪いことではない

攻撃系カードの使い方は個人で大きく差が出る。息子は勝利への欲求が強く、積極的に他のプレーヤーを攻撃しようとする。あまりに理不尽でダメージの大きな攻撃の場合、ゲームとはいえ攻撃された方は心身ともにダメージを受ける。娘が泣きだして雰囲気がかなり悪くなったために、大人げなく息子に注意をしてしまったこともある。

周りを攻撃するからには覚悟を持たなければならない。攻撃した相手から良い感情を持たれることはなく、仕返しされても仕方がない。一人を攻撃したことで他のプレーヤー皆を敵に回すこともある。

「勝ちたい」という気持ちは悪いことではない。人は皆、多かれ少なかれ周りより優れていたい、という気持ちを持っている。ただもし「勝つことで周りから評価されたい」と思うなら、なにより「勝ち方」が重要になる。周りを攻撃し、邪魔をして、足を引っ張って得た勝利を、だれも賞賛してはくれない。賞賛は求めずただ自分の欲求を満たすことが目的だとしても、一緒にゲームをしたいと思う仲間がいなければそもそもゲームが成立しない。

そういう意味で『桃鉄』は、特に子供にとって社会性、社交性を学ぶ良い題材だ。

優しさではない、目的が違うだけ

私は「攻撃系カード」を使うことはないので、ゲットしても早々に売却してしまう。

それを見て息子が「お父さんは優しいからね」と言ったが、これは決して優しさではない。私は家族みんなで楽しい時間を過ごしたいのだ。そのためには良好な家族関係、雰囲気を維持する必要があり、「攻撃系カード」は使用すべきではない。「1位になる事」ではなく「楽しむこと」が目的であり、その目的を達成するためになにがベストなのか、という判断だ。

もし「攻撃系カード」に運の要素が多分にあり、攻撃対象がランダムで決まるもしくはカード使用者も攻撃対処になり得る、ということであれば、私も積極的に「攻撃系カード」を使用して周りを邪魔するかもしれない。その方が皆が楽しめるからだ。

もちろん、1位が目的ではないといっても、勝利に逆行するようなことはしない。そんなことをすれば逆に雰囲気を壊してしまう。皆が同じ方向を向いて競うから楽しいのだ。譲られて得た勝利はなにも嬉しくない。

システムエンジニアの評価は「勝ち負け」では決まらない

多くの人は仕事においても「周りから評価されたい」という承認欲求を持っている。しかしシステムエンジニアの評価は「勝ち負け」では決まらない。システム構築・運用はチームでやるもので、様々な関係者が個々の役割を果たすことで初めて、新サービスのリリースやシステムの安定運行に繋がる。各々の役割によって求められる成果が異なり、大きな目的にために一人ひとりがその役割を全うする。そこには競争はないのだ。ノルマや目標値など比較できる数字によって優劣・勝ち負けがつく営業職などとは根本的に違うのだ。

そして求められた役割において成果を残し、信頼を積み重ねていくことで評価があがる。評価に応じて昇給・昇進していく。仕事の一つ一つに勝ち負けや優劣や競争はなくても、昇給・昇進よって優劣が付いていく。

私は10年以上も出向しているので同じ評価軸にすら立っていないのだが、それでも先に昇進していく同期や後輩を前に「負けた」という気持ちを拭い去ることはできない。

覚悟がなかったことが、今の「差」を生んでいる

もし私に「勝ちたい」という強い思いがあり、またそのために周りを攻撃したり、家族に苦労をかけることを厭わない覚悟があったとしたらなら、今とは全く違った立場になっていたのではないか、とも思うこともある。出向に不満があれば、会社に対してそれを訴えてもよかったのだ。そうすれば早くから出世争いに復帰することもできただろう。でも結局はそこまで強い出世欲も、家族や今の生活を犠牲にするような覚悟もないから、ずっと出向が続いている。そして出世というレースにおいては、もはや追いつくことのできない「差」となっている。

『桃鉄』で「攻撃系カード」を使えないこととも、自分や家族のその時の生活を守ろうとすることも、どちらも「優しさ」などではない。それはただの「弱さ」なのかもしれない。

今の仕事・生活には不満はないし、過ぎ去った10年を振り返ってタラればを語っても意味はない。それよりも、この10年を如何にしてこれから先の10年につなげていくかの方が大事だ。ただ良し悪しは別にしても、覚悟がなかったことで生まれたのかもしれない「差」については、しっかりと心に留めておかなければいけないだろう。どこかで再び覚悟を求められる日が来るかもしれない。その時にちゃんと「覚悟」をもって選べるように。

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