ディズニーランドの待ち時間に思うこと

時間をマネジメント
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ディズニー プレミアアクセスの価値

冬休みに入って早々、一泊二日でディズニーランドとディズニーシーに行ってきた。コロナの影響で入場者数に制限が設けられていたのだが、それでも人気のアトラクションの待ち時間はものすごかった。特にディズニーランドの『美女と野獣』、ディズニーシーの『トイストーリーマニア』『ソアニン』は新しさもあって乗るまでに2時間以上待たないといけない。

しかし今、そういったアトラクションには「プレミアアクセス」がある。入園後にスマホアプリから対象のアトラクションに一人分2,000円を払うことで待ち時間をほぼゼロにすることができるのだ。冬休みのような繁忙期の入場チケットは大人が9,400円もするのに、さらに一家四人で8,000円の追加支出を強いられることになる。我が家では今回、一日目の『美女と野獣』と二日目の『トイストーリーマニア』で「プレミアアクセス」を利用したため、2日間の入場料だけで約8万円と正直ため息が止まらない。まさにお金で時間を買ったわけだ。

ただ、結果的にはこの追加支出によって今回の旅行の満足度はかなり高くなった。2時間の待ち時間をほかのことに代替したので2日ともほぼ望み通りに過ごすことができた。人気のアトラクションは2時間以上の待ち時間だが、それ以外は繁忙期でも待ち時間は30分程度なので単純計算すれば2,000円で3つ多くアトラクションに乗れたことになる。入場料に加えて交通費と宿泊代で1人につき5万円以上かかっているのに、結果的に満足できなかったのでは目も当てられない。次はいつ来れるかわからないし、一家四人でのディズニーは今回が最後になる可能性だってあるので、消化不良で悔いが残った場合の機会損失をコスト換算すれば、2日間で4,000円の追加支出はリスクヘッジとしては悪くない。

もちろん「プレミアアクセス」に2,000円の価値はない考える人もいて、だからこそバランスが取れてこの仕組みが成立している。価値観は人それぞれだ。例えば、高校生までは繁忙期の入場料が7,800円なので、ここで2,000円の追加支出をする判断は悩みどころだろう。ちなみに年間パスポートがあれば1回あたりの単価が下がるので2,000円の価値も低下するが、コロナ禍で年パスの販売は停止中だった。

ディズニーで2時間待つことの意味

と、言葉では理解しているのだが、実際に二つのアトラクションが2時間待つ価値があるかどうかといえば、私の答えはNoだ。どちらもとても楽しかったが、せっかくディズニーランドに来たのに2時間延々と待つのはとてももったいない。アトラクション自体は10分もないのだ。しかも寒空の下で列に並ぶのはとても辛いし疲れるので、そのあとの過ごし方にも支障が出る可能性だってある。もちろんこの2時間がただの待ち時間ではなく価値のある何かを得られるのであれば話は別だ。建物の中に入れば暖かいし展示物を見ることもできる。でも2時間待ちであれば1時間以上はただ外にいるだけだ。

となると、なぜ2時間以上待てる人があんなにたくさんいるのだろうか。

高校生のカップルや友人同士であれば一定の納得感はある。彼らは大人に比べて入場料が安く、また時間の流れも大人とは違う。待ち時間に話をしたりふざけあったり、仲間と時間を共有することが楽しくそこに価値があると感じていれば、2時間待つことの抵抗感は高くないのかもしれない。

ではそのほかの年齢層、客層はどうか。

私が思うに、2時間待つことで失うものを正しく理解できていない人たちがかなりの数いるのではないだろうか。時間は誰にも等しく限りがある。それなのに朝9時から夜9時までの12時間のうち2時間の待ちを短縮する手段があっても、そこに2,000円を払わずに待つことを選択する。2時間よりも2,000円を惜しいと思うのだろう。もちろん2,000円は安くはないが、ディズニーランドに来る経済的余裕があるのならもう2,000円がどうしても払えない、という人そんなにはいないだろう。でも彼らは時間ではなくお金を節約してしまう。その結果、2時間で得ることのできたかもしれない2,000円以上の価値を失っていることには気づかないのだ。

  • 資本主義と格差社会

これは資本主義の弊害ではないか、とも思う。現代は資本=お金を中心に回っている。そのためお金が大事でお金を節約することが良いことだと考える人が多い。間違いではないのだが、お金は価値を得るための手段であり、お金を使って価値を最大化することが大事なことだ。貯めるだけ、取っておくだけでは意味がない。もしからしたら、そんな金融リテラシーの格差によって今の格差社会も生まれているのかもしれない。

夢の国で、そんな社会問題の根底を見た気がした。

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