個人情報の流出を過度に不安視するなかれ

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企業で保有・管理していた個人情報が流出すると、その企業は大きな損失を被ることになる。クレジットカード関連会社なら金融庁に報告し、最悪の場合は業務停止命令がでることもある。また、利用者からは個人情報の管理体制、セキュリティ対策を不安視される。ニュースやメディアで大々的に取り上げられればさらに印象が悪くなり、被害者でなくてもそのサービスを利用する際にためらいを生む。代替サービスがあれば乗り換える人もでてくる。流出した人への金銭的補償をするとなれば、数千万円規模を支払う場合もある。

流出された側は、クレジットカード番号を不正利用されたり、電話番号やメールアドレスが勧誘の電話やダイレクトメールに使われ、その結果として詐欺に巻き込まれて不利益を被る可能性がある。実際のところは、たとえクレジットカードは不正利用されたとしてもそれに気付いてカード会社に連絡すればカードを止めてもらえるし、たいていの場合は返金されるので実害は少ない。だがクレジットカードの再発行は様々な利用先への変更手続きも発生してかなり手間なので、避けられるに越したことはない。

クレジットカード番号や口座番号が流出した場合の影響はわかりやすい。こういった情報が氏名や生年月日とともに流出すれば、暗証番号を推測されて不正利用される可能性がある。だが、それ以外の情報に関しては流出した場合、どんな実害があるのだろうか。

プライバシーに関する個人情報の流出は、大多数の一般人には実害はない

私が子供のころは、卒業アルバムには卒業生の氏名、住所の記載があった。また配布された連絡網にはクラス全員の電話番号が書かれていた。だが、そういった情報を集めて販売する業者が摘発されたり、インターネットの普及により様々な問題が発生したことで個人情報保護法が施行された。個人情報を収集する際の管理やルールが厳しくなったこともあり、学校含めて各企業はリスクを避けるために個人情報の収集をやめた。そして卒業アルバムからは住所一覧が消えた。

だが、住所や電話番号、勤務先といった情報が流出したところで、何がおこるというのか。芸能人や有名人などは、住所が公開されればプライバシーが損なわれ、不利益を被るだろうが、一般人の住所・氏名が流出したところで誰も興味はない。ただの名簿なので、DMを送るくらいしか使い道はない。勤務先や資産、年収、家族構成も同じだ。病歴や離婚歴、犯罪歴などのセンシティブな情報ですら、その本人と直接の繋がりがなければ特に役には立たないし、漏れた側にもほとんど影響はない。周りには知られたくない、隠したくないと思うようなセンシティブな情報であってに、本人が気にするほど周りは気にしていない。

ただ、インターネットの普及にともなって多くの人がSNSを利用し、自ら情報を発信する機会が増えていることもあり、誰もが突如注目を集めて有名人になることも起こり得る。その時、SNSのアカウントと流出した個人情報とが紐づけられれば、好意的に思わない人たちからインターネット上で攻撃され、その攻撃がリアルにも影響を及ぼす可能性はあるかもしれない。

やみくもに信用せず、やみくもに恐れないこと

この情報化社会においては、個人情報を企業や行政に提供することで様々なことが便利になり、利益を享受している。その反面、誰もが少なからず個人情報漏洩のリスクを抱えている。そのため個人情報保護法など様々な法律・法令が定められ、サービスを提供する側はコストをかけて厳しい制約をクリアしようと努力している。それでも利用者側も企業をやみくもに信用するのではなく、クレジットカードの利用明細や銀行口座からの引き落しは定期的に確認する、といった自己防衛措置も必要だ。また、個人レベルでもむやみやたらと自分の個人情報をさらすのは控えるべきだ。個人情報は、その個人と直接紐づいた場合に有用性が高まるため、積極的にリスクを上げる振る舞いはやめた方が無難だ。

その大前提のもとで、個人情報の流出を過度に恐れる必要はないと思う。不安をあおるメディアに踊らされ、個人情報の流出を気にしてマイナンバーカードを返納する人もいるが、メディアは読者・視聴者から注目を得ることで収入を得ていて、そのため必要以上に問題を大きく報道しようとすることが多い。こういったメディアに流されて判断を誤っても、彼らはその責任を問われることはない。

もちろん政府やサービスを提供する企業の言うことをやみくもに信じればよいということでもない。システムやサービスが複雑になれば、それだけセキュリティ対策は難しくなり、技術の進歩についていけなければセキュリティに穴を生む。考慮漏れなども含めて、情報漏洩を100%防ぐことは難しい。そのため、我々一人ひとりの自己防衛策も欠かすことはできない。

不安だから、良く分からないから、という理由で新しい事・便利さから逃げるのではなく、必要な情報を自ら確認する最低限の努力をし、リスクや影響を正しく認識し、そして自己判断する力を持たなけれならない。

今後「便利だが、なくても何とかなる」ことは確実に減っていく。便利なのは利用者側だけでなはなく、サービスを提供する側にとっても労力がかからない。そういったサービスがますます増えていくとともに、人から人に直接サービスを与える機会は減っていくし、高額にもなっていく。

今、不安がって立ち止まっている人たちには、近い将来確実に「生きづらい日々」がやってくる。いつまでも立ち止まっていてはいけない。

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