最近の小学校の指導・学習方法には驚かされることが多い。
日々の宿題では生徒全員に決まった内容を課すのではなく、1週間後のテストにむけた学習計画を自ら考え実行し、その結果について振り返り改善する、という『けてぶれ学習』がすっかり定着している。私はこの手法を『PDCAサイクル』として社会人になってから学んだ。
また先日娘の授業参観があった。生徒が班に分かれて一つのテーマを議論し、意見をまとめて発表するといったもので、授業は以下のように進んでいった。
・最初に教師が生徒へ付箋を配り、ひとりで考えて思いついたこと書いていくように指示。ここで大事なのは質より量、非現実的であってもよい。
・次に班の中で順番に自分の考えたアイデアを共有する。この時、他の生徒は発表者の意見に対して「いいね」「なるほど」「おもしろい!」など、とにかく前向きな反応を返すこと。反論・否定をしてはいけない。
・一通り意見の共有が終わったら、並んだ付箋をもとに想像を膨らまし、アイデアを発展させる。
・最後に班の意見をパワーポイントで1枚にまとめる。
個人の偏った視点に他者の視点を加えて発展させていくことで、一人では考えもつかなかった到達点に至ることができる、アイデア出しの手法。そう、これはブレーンストーミングだ。私はこの手法を若手のころに会社の研修で学び、そして今も様々な場面で活用・応用している。ブレーンストーミングを教育現場に用いることで、他者の意見を尊重すること、多様性の重要性や有用性を実感し、学ぶことが出来るのだろう。
私が小学生のころは、授業では手を上げて発言しなければ自分の意見が表に出ることはなかった。また何かを決める場合、最終的には多数決であったとしても、大きな声で主張する生徒の意見が通ることが多かった。それは社会人になってからも似たようなもので、責任を負いたくないからか、意見があっても会議では発言をせず、不満があっても黙って人の意見に従うだけの人は沢山いた。逆に自分の意見ばかり主張して、他人の声には聞く耳を持たない人もたくさん見てきた。
だが今の時代は、小学生が授業でブレーンストーミングを学んでいる。初めからうまく機能するわけではなく、結局は一部の生徒の意見がそのまま班の意見になることが多い。だがそれでも繰り返し実践することで、人の意見を聞くことの重要性を実感し、協力し強調することを学んでいく。そういった小学生が10年後に社会人となり、私が55歳を超えたあたりでは新入社員としてメンバーに加わってくるわけだ。
また、授業参観でさらに驚くことがあった。それはアイデアを発表する際に作成するパワポは文字だけでなく、背景やイメージを追加するのだが、デモを行った教師はタブレットにインストールされていた生成AIにプロンプトを与えて背景の画像を生成していた。1時間という限られた時間のなかで生成AIを使いこなすことはできなくても、今の小学生は我々以上に生成AIが身近な存在になっている。きっと遊び感覚ですぐに生成AIを使いこなすようになるのだろう。
私たちの時代はインターネット黎明期であり、大学生のころにyahooやGoogleで検索する、ということを体験した。携帯電話のショートメール、パソコンでのチャットがコミュニケーションツールだった。そして社会人になってからは仕事にweb検索が欠かせなくなった。e-mailやエクセル、ワード、パワポは大学生で卒業論文を書く際に使うようになったが、授業で提出するレポートはほぼ手書きだった。それらのアプリをちゃんと使いこなせるようになったのは社会人になってからだ。
そのときすでに中堅・ベテランだった社会人の諸先輩方は、そういった新しい環境に適応するのに苦労をされた方もいるだろう。だが過去にとらわれず、新しく便利なものを積極的に受け入れ、学び、使う姿勢を持っていれば、それらはとてつもない武器となり、仕事の生産性や品質を大きく高めることに貢献した。逆に言えば、いくら経験・能力があったところで最低限のツールを使いこなせなければまともに仕事をすることも難しくなっていたに違いない。
そしてこれから社会に出てくる世代は、私が就職してから学んだマネジメントの知識、手法をすでに知っている。またインターネット、Wifi、タブレットはあって当たり前で、それどころかAIですら生活必需品として身近に存在している。私たちにとって目新しかったモノ・コトが、彼ら彼女らにとっては空気のような存在であり、仕事のやり方も彼らに合わせて変わっていく。
昨年あたりからリスキリング、DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉をよく耳にするようになった。DXとはビジネスをデジタル化(ペーパーレス、自動化、脱属人化)することで人手不足の解消、効率化を図るための取り組みだ。そしてDX化を推進するための人材を育成する取り組みとして、リスキリングという言葉が登場した。これまでデジタルとは縁遠い労働者、とくに中堅社員へのIT・AIの教育を促進し、DX化の人材を増やすこと政府から各企業に呼び掛けていて、特にAI、IoT、ビッグデータといった領域に重点を置かれている。
とはいえ、今までシステム開発やプログラミングをしたことのないシステムユーザを教育することでDX化推進の戦力になるとはとても思えず、詳細は不明ながらも冷ややかな目でみていた。また、娘の小学校の授業内容からも分かる通り、今の中堅社員が本当に必要なのはデジタル人材になることではない。今更IAやビッグデータを学んだところで、そういった分野を専門的に扱えるようになるには相応の時間がかかるし、学術的な話も含まれるため、よほどのセンスや才能を持っているのでなければ、その領域は研究者・専門家に任せておけばよい。
それよりも我々は、AIやマネジメント技法が普通に存在する時代がまもなく到来することを知っておかなければならない。私のようなアラフィフに差し掛かっている世代は数年もすれば、仕事をする際の前提が変わっていくことを覚悟しなければならない。そしてもし不足しているのなら、今の小中学生が学んでいることこそ、我々も学ばなければならない。それは決して高度な知識でも学問でもない。小中学生でも理解できる内容だ。だが凝り固まって新しい事、考えを受け入れることができなければおいて行かれてしまう。若い世代を理解することも出来ず、生産性・効率も下がっていくし、そういった状況で部下・チームをマネジメントすることも難しくなっていくかもしれない。
AIやITの知識をリスキリング(学び直し)するのではない。重要なのは、これからスタンダードになるであろう知識、技法がなにかを認識し、自分に足りていないものを理解し、そしてそれらを補うために自ら学ぶ意欲だ。会社や政府がなにかをしてくれると期待して待っていたら取り残されてしまう。
10年後の自分を守るためには、必要なのはリスキリングっではない。