ポイ捨てと罪悪感

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道端にたばこの吸い殻が落ちていた。

路上喫煙を禁止する条例やたばこの値上がり、電子タバコの増加もあって以前よりはポイ捨て自体減っているように思うが、それでも家の前の道にはたばこの吸い殻が落ちていることは多い。また、車の運転席から外にたばこを投げ捨てたり、道路わきの排水溝のスキマに捨てる人を見かけることもある。

たばこの吸い殻は他のごみと違い、コンビニの袋に入れて持ち帰ったりゴミ箱が見つかるまで持ち歩くことは難しい。そのため喫煙エリアには吸い殻用のごみ箱が設置してある。だが街中のごみ箱と同様に、吸い殻を捨てる場所も随分と減った。ゴミは責任を持って持ち帰りましょう、ということだ。そのため携帯用吸い殻入れを持たずに路上で喫煙をする場合、それは最初から吸い殻を持ち帰る気がなく、吸い終わればポイ捨てをするつもりなのだ。

本来、吸い殻入れを持っていないなら路上で喫煙すべきではなく、喫煙室であったり吸い殻入れが設置してある場所まで移動すべきだ。だがそういった行動を煩わしく面倒くさいと思い、自分勝手な欲求を最優先にして後先を考えずにタバコに火をつけると、吸い終わった後に吸い殻の処分に困るのは当然だ。そして「まあいいか」と思ってポイ捨てをする。それでも捨てた吸い殻を靴の裏で踏みつぶして火は消す。ポイ捨てはしても、火をつけたままにしておく事には罪悪感があるのだろうか。

運転席から外に吸い殻を投げ捨てる人は、火を消すことすらしない。車内で火を消す場合は灰皿が必要なので、灰皿が車中にあるならそのまま吸い殻を入れておけばいい。車内に灰皿がないからポイ捨てをするのだ。喫煙するのなら自家用車に灰皿くらい常設しておけばよいのに、それをしない理由は私には理解できない。個人スペースさえキレイにしておければ、それ以外はどうでもよいということなのだろうか。火をつけたままの吸い殻は自動車にとっては影響はないのかもしれないが、自転車のタイヤにはダメージを与えるし、横断歩道なら子供が転んだりすることもある。季節やポイ捨てした場所によっては、火事に繋がることだってある。

たばこに限らず、多くのゴミは適切に処理しなければ自然に分解されるのに10年以上の年月がかかる。科学者や専門家でなくても分かりそうなものだろうが、ポイ捨てをする人は実際どう思っているのだろうか。この事実に気づいていないのか。気付いても見て見ぬふりをしているのか。誰かがゴミとして捨ててくれればよいと思っているのか。それとも自分の家が汚れるわけではないから気にならないか。それとも他になにか考えがあるのかもしれないが、どんな理由であってもその行為を正当化することはできない。なにか納得できる理由をつけて、少しでも罪悪感を紛らわそうとするのか。

祭りの屋台で買ったかき氷のカップや、フランクフルト用のプラスチック製の皿は、食べ終わった後の処分に困る。そしてゴミ箱が見つからなければ、ごみを捨てられそうな場所を探す。そんな時、ゴミ箱・ゴミ捨て場ではくても誰かが先にゴミを置いてしまえば、「あ、ここはゴミを置いていい場所なんだ」と都合よく解釈してそこにゴミを並べていく人も多い。誰かがやっているから自分もやってよいのだ、と自己弁明して罪悪感を誤魔化す。少し考えれば、そこに置いたゴミがどうなるか分かりそうなものなのに、都合が悪いことは考えようとしない。

ゴミ収集は無料のボランティアではない。自治体によるゴミ収集の多くは専門業者に委託し、その費用は税金で支払っている。自治体の職員がゴミ収集する場合も、彼らの給料の原資は税金だ。だがポイ捨てや街中に放置したゴミなどは、誰かが拾わなければ収集されることはない。その誰かとは、多くの場合は善意のボランティアだったり、ゴミがあることに直接影響を受ける被害者だったりする。

誰かの自分勝手な振る舞いが、別の誰かの負担になっているのだが、この事実を理解していない・想像できない人が多すぎる。なぜポイ捨てしてはいけないのか。ポイ捨てするとどうなるのか。誰が困るのか。そしてそれを防ぐにはどうしたらよいのか。子供のころに、ゴミ拾いのボランティア活動に参加すれば自然と分かる事だ。そして一度理解すれば、ポイ捨てに対する罪悪感は非常に大きなものになり、自責の念すら感じてポイ捨てはできなくなる。

罪悪感を感じらることができない、またはその罪悪感が行動の抑止力にならないのなら、それは価値観の違いというよりも教育・学びが足りていないのだ。ポイ捨てに対して罪悪感がない、または罪悪感が薄いという人は、ゴミ拾いのボランティアに参加してみると良い。小学校などでの地域清掃に子供と一緒に参加するのも良いだろう。

学ぶのに遅すぎることはない。人はいつでも学び、そして変わることが出来る。ごみのポイ捨てを無くすには、一人ひとりが変わらなければならない。誰かがやってくれる、なんてことはない。今自分がゴミをポイ捨てしなければよいだけなのだ。そうすれば非平等に負担を被る人、被害者を生むこともない。世界はより幸せな方向に歩みだすのだ。

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