大学に進学することの意味

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中学生の息子と大学について話をすることがあった。

日本はいまだに学歴社会であり、多くの高校生は志望の大学に合格することを目指して日々勉強をしている。大学を卒業したかどうかで就職の選択肢も初任給も大きく変わってくるので、一部の専門職を目指す場合を除けば、まともに就職して経済的に安定したければまずは大学に進学することが常套手段となる。

中高一貫の私立中学の場合、中学生から志望する大学の調査がある。少し前まで小学生だったのに、今はもう大学について考え始めなければならない。息子はあまり良く分かっていないながら自宅から通える国立大学の名前を記入した。だが大学に行って何をするのか、そして大学を卒業してどんな仕事に就くのか、まだイメージすらできていないだろう。

30年前を振り返る

30年前の私も同じだ。中学生のころの作文を見ると「エンジニアになりたい。でもエンジニアになるには何をすればいいか分からない」といった内容が書かれていた。その頃は、エンジニア=ロボットを作る、といったことをイメージしていたが、それが就職してお金を稼ぐ、ということとはリンクしていなかった。働くとはどういうことか理解せず、ただ専門的なことを勉強するには大学に行くほうが良い、ということはなんとなく分かってきた頃だ。

片田舎の中学校では、成績が上位1~2割にいたら進学する高校はほとんど決まっていた。その高校では生徒の多くが国公立大学や有名私立大学進学を目指しており、私も気づけばその流れに乗っていた。大学には工学部というものがあり、ロボットや機械について学ぶなら工学部に行くのだ、ということも分かってきた。

高校での成績は乱降下が激しく、紆余曲折はあったものの結果的には第一希望の大学に合格した。3年生の夏休み前の模試でD判定、直前の模試でもC判定と半ばチャレンジ受験だったので、合格した際は本人も家族も担任も皆が驚いた。だが3年生の後半は、文字通り死に物狂いで勉強をしたので、その努力が報われたことが嬉しかったし、やればできるのだ、という自信になった。

大学で学んだこと

大学では、より高度な数学・物理化学、第二言語としてドイツ語も学んだ。高校とは違って、難解な教科書に難解な授業、難解な教授に圧倒され、何をしているかよく理解できないまま、かろうじて単位を取得できるかどうか、という状況だった。ギリギリで合格した大学だったので、周りに比べれば基礎知識も能力も劣っていたのかもしれない。それでも大学を無事に卒業し、そのあと大学院で修士課程も卒業した。結果的に「修士卒」という肩書を手にしたことで、SI(システムインテグレーション=システム構築)関連企業に就職後の初任給は「修士卒」の給与レンジとなった。たしか学部卒と比べて、月収で2~3万円高かったと記憶している。

ただ、振り返ってみれば大学の授業から学んだことで、就職してから役に立ったことはほとんどない。唯一、プログラミングの授業については、SIに興味を抱くきっかけになった。それ以外は、理解できなかったこともあって授業自体はなにも面白みがなく、ただ単位を取るためだけに授業に出ていたようなものだった。

それでも、卒業論文や大学院での毎週の研究レポート、その後の修士論文など、パソコンで文章を書くことは良い経験だった。特に大学院では、ゴールがあるか分からないような研究テーマについて日々試行錯誤と仮説検証を繰り返し、それをレポートにまとめてゼミで教授陣に報告し、指摘やアドバイスをうけて次に生かす、という日々を過ごした。今を思えばあの時の経験が、今もなお正解のない課題やタスクを前にしてもひるむことなく立ち向かっていくための土台になっているような気がする。

多くの友人は大学院を卒業して機械・自動車メーカーに就職した。きっとそういった会社であれば、研究開発をする中では大学で学んだ難解な計算式を使ったシミュレーション、基礎研究論文を理解するのに大学の授業が役に立ったのかもしれない。しかし当時はSI企業に就職後に必要となる、プログラミングやシステム構築の知識・技術を大学で学ぶことほとんどなく、大学で教わる学問とは別物だった。会社の同期の中には、大学の頃にプログラム作成やシステム構築に携わっていて、就職後も即戦力として大規模プロジェクトに参画し活躍する人もいた。だがそういった一部の例外を除けば、ほぼ全員が入社後にJava、またはCOBOLの研修を受けるカリキュラムが用意されていた。入社してから「基本情報処理技術者」や「応用情報技術者」の資格を取得する人が大半だった。

大学生活で学んだこと

それでも大学に行って良かったと思う。これは就職面談の際にも人事担当から言われたことだが、一定のレベルの大学に合格するには、それ相応の努力が必要となる。そして努力するためには計画性や自己分析力、自制心も求められ、大学に合格したことで、そういった能力を持つことの証明になる。また、大学に合格すること自体が自己肯定感を高めるし、達成感を得ることもできる。まず大学入試の時点でそういった経験をしたかどうかが、社会人になって活躍する土台となる。

また、難関大学に合格したことで、周りの友人・知人のレベルもグッと高くなる。勉強や研究だけでなく、遊びや部活動を通じて交流する中で、彼らの視座の高さ、知識力はとても良い刺激になった。変わった人も多かったが、そういった環境に身を置くことで自然と自分自身も磨かれていったと思う。

通えない距離ではなかったが、遅くまで部活動があったこともあって1年生の後半からは一人暮らしをさせてもらった。ここでは、自由を手にした代わりに多くの不自由も経験した。当然ながら食事や洗濯、掃除、買い物ふくめて、自分ひとりでやらなければいけない。仕送りとアルバイト代をやりくりし、生活必需品や食費、光熱費を支払う。そしてお金に余裕が出てきたら欲しいものを買ったり、旅行に行ったりするのも自己判断・自己責任だ。生活の中でちょっとしたトラブルがあれば、それも自分で解決しなければならない。大学生で時間のあり、かつ責任範囲が狭いうちにこういった経験をして生活力を身に着けておけたことは、就職、結婚、子育てと人生のキャリアを進む中で役立っている。

中高に続いて大学でもハンドボールを続けた。そこでは毎年、全国の大学との交流戦があり、北海道・大阪・九州と、全国を旅することが出来た。韓国にも交流戦に行った。言葉や境遇は違っても、試合や宴会を通じて異文化と交流し、さまざまな人と出会えた経験はかけがいのない財産となった。

それだけでなく、私は最後の大会で優秀選手に選ばれた。中高では控えに甘んじており、大学では人数が多くなかったこともあってレギュラーにはなれたが、もともと運動ができるタイプではなく、体育の成績はずっと半分以下だった。それでも体の大きさや柔らかさを活かして大学2年生から始めたキーパーに適性があり、辛い思いもたくさんしたが、最終的に多くの人に認められるような成果を残すことができた。これも私自身の自己肯定感を高めることに、大いに役に立った。

大学に行くことのススメ

今、少子高齢化の加速によって、希望すれば誰でもどこかの大学には進学できる時代になった。大学側も昔と違って企業との連携も増えており、就職後に即戦力としてやっていくための知識・経験を身に着ける場に変わりつつある。

それ自体は悪い事ではないが、だが正直就職してから学べることに、大学生とという限られた時間を費やすことには少し疑問もある。就職後に役に立たない高等数学・物理を学ぶよりは良いが、大学生の間でないと出来ない事から得られる知識・経験はそれこそかけがえがない。

ただし、行くだけでは意味がない。ただ4年間を過ごしているだけでは何も得られない。やりたい事がなければそれを見つけに外に出よう。待っているだけではなにも変わらない。その姿勢さえあれば、大学に行くこと、そしてそこで得られる出会いと経験は一生ものだ。

その姿勢がなければ、大学に行くことの意味は大きく変わってしまうし、専門学校などで直接仕事に役立つ技能を学んで早く社会に出た方が良かった、ということにもなりかねない。

大学に行くことはおススメだが、そこでどれだけ価値のある日々を送ることが出来るかどうかは、本人次第だ。

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