3年ぶりに会社で飲み会があった

仕事をマネジメント
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コロナの5類移行に伴う行動制限の緩和により、少しずつだが確実にアフターコロナの生活が始まっている。まだ電車やお店ではほぼ10割がマスクを着用しているが、休日ならどこも多くの人でにぎわっている。観光地だけでなく、街中でも外国人をよく見かけるようになった。花粉症が収まり夏が近づくにつれて、マスクの着用率も下がっていくだろう。

送別会を企画する

春は出会いと別れの季節だ。私のチームでも1名、チームを離れる人がいた。その人とは私が今の会社に出向する前から付き合いがあり気心も知れている。以前は良く飲みにも行っていたが、この3年間はコロナによる行動制限、飲み会の自粛があり、そういった機会が全くなくなってしまっていた。しかし次はいつ会えるか分からないので、勤務最終日に有志で飲みに行こうとお誘いしたところ快諾だった。

感染自体はほぼ終息しているとはいえ、コロナに対する意識や感染対策には個人差がある。また会社で飲み会がなくなったことで喜んでいる人もいるだろう。有志をどこまで募るかは少し悩みどころだ。だがコロナ禍では飲み会は4~5名までとするような会社からの要請は今はもう撤廃されている。そのためとりあえず広く声をかけてみることにした。上司に承諾を得たのち、送別会を兼ねた懇親会開催の連絡をする。もちろん強制ではく、希望者のみに参加者を募った。

その結果、グループメンバ10名のうち9名から参加したいとの回答があった。残り1名からも、どうしても調整ができず残念ながら不参加、とのコメントだった。コロナ禍前は飲み会に不参加のスタンスだったあるベテランメンバも参加を表明したので驚いた。

皆が交流を求めていた

今のグループは3年前に編成され、また1年前に別グループと統合した。しかしその間に飲み会は一切なく、またグループ内の会議は完全にオンラインだった。そして社内では常時マスクを身に着けているため、お互いの顔をちゃんと見る機会がない。そのため業務外の会話をする機会もほとんどなく、さすがに顔と名前は一致するものの、年齢や経歴、趣味嗜好など分からないことだらけだ。そのため飲み会では自然とお互いの自己紹介から始まった。どこに住んでいて、どういった家族構成で、休日には何をしているのか。前はどんな仕事をしていて、誰とどういった関係があるか。笑ってしまうほど今更な話題だったが、これがコロナ禍で失われていた時間だった。そして皆口々に、コロナ禍でそういった交流をする場がなくなり残念だった、そしてようやくグループ内で交流できて嬉しかった、と語っていた。

飲み会のあと、上司や送別者だけでなく、グループメンバからは飲み会を企画したことについてたくさん感謝の声があった。皆、交流に飢えていたのだ。そして個々では飲み会などあれば参加したい、と思っていたものの、自ら飲み会を企画するのはためらいがあったのだろう。3年間飲み会などの交流がなく、お互いの気心を知る機会がなかったので、飲み会が好きかどうかもわからなかった。こういう時は上司がグループ運営の一環で声を上げてもよさそうだが、今の上司はそういうタイプではない。私がこのタイミングで企画しなければ、平常に戻っても飲み会のないグループとなっていたかもしれない。そういう意味でも、良いタイミングで飲み会を開くことができた。別チームのメンバの仕事内容や考え方を知ることもでき、普段の業務でもプラスになるだろう。私自身にとっても良い機会となった。これから先、歓送迎のタイミングではきっと普通に飲み会が企画されるに違いない。

コロナ禍で変わった飲む習慣

コロナ前から、飲み会に対する意識は変わり始めていた。飲み会を嫌い、飲み会は残業だと主張する若手が話題になった。そしてコロナによって、飲み会の在り方は大きく変わった。飲み会=感染リスクの高い行動、と認識され、実際コロナ禍では飲み会にいったメンバが後日コロナで全滅したり、コロナ罹患者が出たことで多数が濃厚接触者となり業務に影響が出る、ということもあった。そのため飲み会は少人数で短時間、がスタンダードになった。チームの飲み会が反強制になったり、上司の声掛けで皆が飲みに行く、という風景も見なくなった。

私もコロナ禍で家飲みをする機会が増えた。私はビールを好んで飲むのだが、以前は定期的に公私の飲み会があり、そこでビールが飲んで満足していた。しかしコロナ禍での飲み会は年1回あるかどうかで、さすがにビールが恋しくなってきた。そこで業務スーパーで缶ビールを購入すると、350ml缶なら1缶200円台と思った以上に安い。家飲みで家族の前で一人酔っぱらっても楽しくはないので、1~2本飲めば十分だ。晩御飯に食べたいおつまみを少し足せばそれだけで満足できる。飲み会だと安くても4,000円はかかる。毎月2回飲みにに行けば、年間10万円にもなる。コロナ禍ではこの支出がほとんどなくなった。あの10万円は何だったのだろうか。

飲み会はコスパが悪いのだ、ということに気がついた。飲み会はコミュニケーションのための場所にお金を払っている。それなのに面白くない上司の演説や愚痴、説教を聞くのは確かに嫌だろう。好きな食べ物ばかりでもないし、お酒自体そこまで好きでなければ飲み会などは苦痛でしかない。またコロナ禍で衛生面も気になりだした。一つの鍋を大勢でつつくのは、言われてみれば気持ちの良いものではない。コロナ禍で飲みに行く機会が減ったことで、飲み会とはなにかを改めて考える機会になった。

アフターコロナは強制ではなく自由

コロナ禍ではいろいろなことが制限され、規制された。アフターコロナでは、そういった制限・規制がどんどんと緩和されていく。もはや何も強制されることはない。飲み会は参加したいから参加する。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、話したい人と話す。すべてが自由であり、欲求が満たされるから楽しいのだ。

コロナはこれまでの価値観や習慣を破壊した。過去に当たり前であったこと、無自覚な習慣を見つめ直し、本当にやりたい事、必要なことを取捨選択していく世界こそがアフターコロナなのだろう。

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