ムカデ競争とチームマネジメント

組織をマネジメント
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息子の運動会で久しぶりにムカデ競争を見た。5~6人がチームになり、メンバ全員が左右1本ずつの同じゲタを履いてゴールを目指す競技だ。ゲタではなくロープで前後のメンバの足を固定する場合もある。

運動会では、競技事前の練習などはなく当日のぶっつけ本番だったらしく、参加した中学3年生たちはなかなか思うように進むことが出来ず、つまずいて倒れたりを繰り返して悪戦苦闘していた。その中で、稀にスムーズにゴールできるチームもあり、保護者席からは歓声と笑い、声援が巻き起こって大変盛り上がっていた。

その最中、私はムカデ競争の中にチームマネジメントの本質を見た。

個々の能力の前に、チームとしてまとまる事

先頭の生徒がどれだけ一生懸命に前に進もうとしても、それだけではゲタは全く動かない。個人の能力が高く、勝利への意欲があったとしても、後ろがついてこなければ一歩進むこともままならない。「せーの!」と声を上げても、その声が皆に正しく届かなければ意味はない。全員の息を合わなければただ気持ちが空回りするだけだ。

ムカデ競争で勝つためには、メンバ全員の息を合わせることがポイントになる。タイミングをそろえ、テンポよく左右の足を交互に前に出す。急いで足を速く動かそうとしても、足並みがバラバラではゲタは前に進まない。後ろの人が前の人の背を押したところで足は固定されているので、バランスを失って将棋倒しのように全員が倒れてしまう。足が速く能力の高いメンバがいても、チーム全員の息が合わなければ個々のパフォーマンスを十分に発揮することはできない。それはメンバ全員のポテンシャルが高くても同じことだ。個々の能力差は、全員の息がそろって初めて表面化するので、その段階まで行かなければ問題にはならない。

勝つために最も大事なのは個々の能力ではなく、如何にチームとして一つにまとまるか、なのだ。

 ・全員の息をそろえる必要性を共有する
 ・最初に出す足を決める
 ・皆で声を出し、声を掛け合う
 ・前の人を押さない

こういったことが出来れば着実にゲタは進んでいくし、中学校の運動会であればそれだけて優勝争いできる。どれだけ早くチームとして一つにまとまることが出来るか、これがポイントだ。

リーダーシップと協調性

練習もなく、その日に初めてチームメンバが顔を合わせた状況なので、おそらくリーダの役割すら決まっていなかったのだろう。誰かがリーダ的なポジションを買って出て、勝つために必要なこと、そのための手段をメンバ全員と共有することが出来れば、ムカデ競争はそこまで難しい競技ではない。

またムカデ競争のように短期的かつシンプルな目標を達成する際には、リーダー不在であってもチームとしてまとまることは可能だ。目的は定まっているので、あとは一人ひとりが達成のための手段を考え、ゴールにむけてベストを尽くす。他のメンバと積極的に協調し、改善し、他のメンバからの提案を受け入れる。声をかける役割が必要なら立候補でも推薦でも構わない。そこに上下関係はない。誰からの指示がなくともメンバ同士が意識を共有し、互いにまとまってゴールに向けて突き進む。いわば一人ひとりがリーダーシップを発揮している状態ともいえる。

リーダーシップと協調性、まさにチームビルディングの本質だ。ただそれを中学生に求めるのは酷だろう。そういったカリキュラムを用意している学校もあるかもしれないが、運動会のムカデ競争をその題材にすることはなさそうだ。せめて競技の後、生徒たちに適切なフィードバックができれば、良い気づきとなって今後の人生の糧にもなると思うのだが、果たしてそこまで学校側に余裕があるかは分からない。

10年前の苦い思い出

私も今でこそ、一丁前にマネジメントやチームビルディングについて語ることができているが、ムカデ競争を見て思い出したのは10年以上前の苦い記憶だ。

ある大手メーカーの分科会活動に参加していた私は、全国の様々な会社から集まったメンバをリーダとしてまとめる立場にいた。各メンバが集まるのは月1回だけで、それ以外は分かれて各自で自社の業務の合間をぬって、分科会テーマに沿った研究活動を進める。進捗はグループウェアで共有する。だが今と異なりオンライン会議が普及しておらず、メールやチャットベースでしか会話ができない。相手の業務が多忙であったり行き詰まっていても、相手からの返信がなければそれに気づくことも難しい。また分科会にかける思いも各自バラバラであり、誰もが業務多忙ながら無理をしてでも研究活動の時間を捻出する、といった高いモチベーションを持っていたわけではなかった。

私はとにかく一人でもがいていた。チャットやメールで依頼をしても、その返事は数日後になることも多かった。時間が限られているなかで、そのテンポのズレには憤りと苛立ちを感じていた。何のための分科会に参加しているのか。分科会も個々の会社からすれば重要なミッションなのだから、一つのタスクとしてちゃんと進めてもらわないと困るではないか。どうして皆はついてこないのか。

私自身、研究活動の答えを持っていたわけではない。どういった方向で研究を進めていけばよいか、手探りでゴールを探していた。そのため各メンバに割り振るタスクは答えを探すためのものが多く、抽象的な部分が多分に残っていた。そのせいもあって、集まって個人ワークの結果を報告し合うと、質量ともに期待を下回るものが多かった。半年たってもめぼしい成果は出ず、私はますます焦っていた。

だがその頃になって、ようやく各メンバの立場の違いが分かってきた。分科会を仕事の一部として認めてもらっていない人、半ば強制で参加させられてモチベーションが上がらない人、ゼロからなにかを考え出すような経験をほとんどしてこなかった人など、様々な事情を抱えていた。そういった事情を理解し、そこでようやく、研究成果を形にしていくコアメンバと、情報収集などフォローが中心のサブメンバに分かれて役割分担を見直した。

最後はコアメンバが突貫工事で研究論文や研究発表資料をまとめ上げ、なんとか無事に活動を終えることが出来た。仕方がない面もあったと思うが、終盤はサブメンバの貢献度が著しく下がってしまったことには、割り切れない思いもある。

苦い経験こそ、血肉となる

あの頃に一人もがいていた自分と、ムカデ競争で先頭に立って後ろのメンバを引っ張っていこうとする生徒たちの姿が被って、少し気恥しい思いがした。

各メンバの事情を理解し、その中で共通のゴールに向かって進むには何が出来るのかを考える。最初からそのような動きができていたら、分科会活動での研究成果はもっと良いものになったし、サブメンバたちの貢献度も満足度も高めることができたと思う。

だがあの頃の苦い経験は、今の自分の血肉となった。

ムカデ競争で思うように前に進めなかったチームの生徒たちにも、その経験が将来なにかの役に立ってくれたら、と願ってやまない。成功より失敗から学ぶことのほうが圧倒的に多いのだから。

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