「わかる?」と問うこと、問われること

感情をマネジメント
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嫁が私に仕事の話(愚痴)をする時、口癖のように「わかる?」と問うてくる。

「メンバーの〇〇は問題があっても全然共有しようとしなくて~、わかる?」

「リーダーが自分でメンバの仕事の割り振りをしないから~、わかる?」

「トラブルの改善策がチェックを強化しますって意味がないよね、わかる?」

本人はそこまで意識しておらず半ば口癖のようになっていた。私も初めは気にしてはいなかったが、あまりに「わかる?」が多いので少しずつストレスを感じるようになってきた。「わかる?」と頻繁に問われることに対して「分かってなさそうだけど大丈夫?」「どうせ分からないよね」というニュアンスを感じてしまうのだ。

嫁の愚痴の対象者たちには会ったことはないし、嫁の今の仕事をやったこともないので、嫁の話を全て理解して同調できているわけではない。ただ、嫁の話には真摯に耳を傾けているし、少しでも話の内容や嫁の置かれている状況、嫁の不満感を理解したいと思って話を聞いている。それにも関わらず「どうせ分からないだろうけど」という気持ちを持たれることは悲しい。

私も社会人を20年以上やってきていて、IT関連という閉じた世界ではありながら様々な人、仕事を見てきている。また45年間も人生経験を積んでいる一人前の大人でもある。仕事内容が未知であっても、これまでの経験や知識を重ね合われば、たいていのことはそれなりに想像できるし理解もできる。それだけの応用力、理解力は持っているつもりだ。

だからこそ嫁から「わかる?」と何度も問われることで、私には彼女の話を理解するだけの能力・理解力がないと思われている、見下されていると感じてストレスになるので、あるとき不意にそのことを嫁に伝えた。

合いの手のようなものでそこまで他意はない、仕事ではそういった言い方はしない、相手の気分を損ねないように言葉には気をつけている、と本人は言う。だが嫁の同僚、愚痴の対象となっている人たちもきっと、私と同じような感情を抱いているのではないか、と心配になる。実際嫁は、私が嫁の「わかる?」連発にどういった気持ちだったか気づいていない。相手が自分に対してどういった感情を抱いているかは、意図せずともそれとなく伝わってしまう。

嫁の同僚たちは本当に理解力や仕事をするための能力が不足しているのだとは思う。生返事でわかったふりをしておいて、実際は何もわかっていなかったという人だっている。安いプライドばかり持っていて、その場で「分からない」と言って自分の理解力のなさが明らかになることを避けようとする。実際ちゃんと理解していないので、説明・指示を聞いた後ですぐに動けない。そういった人たちが嫁の周りに一定数、もしかしたらかなりの割合で存在していて、それはストレスがたまるだろうな、と同情する。丁寧に何度も説明しても理解してもらえず、裏切られることが度重なれば、それは「分かる?」と何度も確認したくなる気持ちにもなるだろう。

娘の通う塾では2月から早くも新学年のカリキュラムが始まる。娘は中学受験まであと2年となり、新5年生のカリキュラムは4年生に比べて質・量ともに一気に負担が大きくなる。先日塾の保護者会があり、塾の校長や各教科担任から保護者に対して、半ば脅しのような説明があった。帰ってからそのことを娘に伝えたのだが、まだ十分に状況を理解できない娘はテレビを見ながら生返事を繰り返すばかりだ。

そんな娘に対して、気付けば私は何度も「分かる?」を繰り返していた。そしてそのことに気づいた私が嫁を見ると、彼女は不的な笑顔を浮かべている。明らかに分かっていない人(嫁の同僚や娘)に対して説明し理解してもらおうとしていても、期待するような反応が得られなければ伝わっているかが不安になる。そして「わかる?」と確認せずにはいられない、ということなのだろう。

だがそれでも、ちゃんと話を聞いている人に対しては、それ相応の応対をすべきだとは思う。真摯に耳を傾けて理解しようとしている人に対して「わかる?」と繰り返すのは失礼にあたる。私は夫だからまだ良いものの、特に会社では無駄に不要な敵を作りかねない。それは仕事をする上でも、少なくとも良いことは何もないだろうから。

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