
出張で沖縄を訪れる機会があった。沖縄に拠点を置くシステム開発ベンダーの拠点視察と、そこで働く方々との交流が主な目的だ。
そして夜は少人数での懇親会があり、隠れ家的な居酒屋に連れて行ってもらった。
100年古酒(クース)復活
沖縄のお酒といえば泡盛が有名だ。同行した本部長が泡盛を好んで飲んでいて、それを知ってお店からいろいろな泡盛が出てきた。中には25年物の貴重な泡盛もあった。
その時先方の担当から聞いた話だが、沖縄には昔、100年古酒(クース)という100年以上前に仕込んだ泡盛があったらしい。だが太平洋戦争によってそのほとんどが失われてしまった。そこでそのクースを復活させよう、という活動が1998年に始まり、ようやく25年物が出来た。今この泡盛が飲めるのは1998年にその活動が始まったおかげだ。
100年クースを作るには、当然ながら100年前に仕込んでいなければならない。今から100年クースを仕込む人は自分でそのクースを飲むことはできない。100年前に仕込んでくれる人がいて初めて100年後にクースを楽しむことができる。そして今は、100年前に仕込んだクース自体が存在しない。
誰かが100年前に始めなければ、未来永劫クースが復活することはない。クース復活の活動は、100年後のための種まきなのだ。
何のために働くのか
仕事の主目的は、自分や家族の生活のための収入を得る事だ。
だが社会人生活が20年を越え、65歳定年までの折り返しを過ぎた今、得る事だけではなく他の目的を探して仕事をするようにもなっている。
私は入社して11年目から約12年間グループ会社に出向し、この7月にようやく帰任した。出向中は自身のミッション・タスクを着実に進める事が中心だった。出向先で管理職としての役割も与えられたが、自分の部下・チームのメンバは出向先社員や他社からの出向者であり、彼ら彼女らを育成するのは組織の安定性確保のためだった。
ルールや仕組みが決まっていない、詳細なシステム仕様の把握や他部とのやり取りが属人化していては、その担当に何かあった際にシステム運行や業務継続に支障がでてしまう。そこで主担当・副担当を任命し、シェアしながら仕事を進めることで属人化を解消する。
大きな目で見れば、グループ会社の業務継続性を高めることは自社への貢献にもなる。とはいえ自社に対して具体的な何かを残したわけではなく、自社に対するエンゲージメント、貢献感を感じる事はできなかった。
自分が残せるもの
7月から自社に戻り、チーム長という役割のもとでチームメンバとともに複数の案件を推進することになった。そして管理職として、メンバ育成が重要なミッションとして課せられた。
私が着任する前から各メンバはそれぞれのシステム・案件を担当しているので、基本的には私が口出ししなくても日々の仕事は進んでいく。私よりも各メンバのほうが詳しいことが多く、学ぶことが多いので大変だ。
だが各メンバには強み・弱みがあり、チームとしてみれば課題や改善すべき点も多い。常に案件過多なので、仕事を進めるうえで効率化や優先順位付けの判断、他部他社との交渉や運営ルールの見直し・改善など、案件やシステムと直接かかわらないところで私が果たすべき役割も様々だ。
さらに自分のチームだけでなく、グループ内でもいろいろとすべき事があり、それらが各メンバのやりがいやグループとしての団結力、部としての強さにも繋がっていく。
私が自分のチームメンバのために為すこと。メンバのやりがいやスキルを高め、強みを生かして弱みを補い、それぞれが気持ちよく仕事ができる環境を整える。そして学びを促し、成長を助け、スペシャリストや管理者として育てる。もちろん今現在の仕事・案件推進のためにも彼ら彼女らの成長は欠かせない。だが5年後10年後の未来において、会社での主役はもはや私ではなく彼ら彼女らに移っている。そしてその時、直接恩恵を受けるのは私ではない。その時の顧客やユーザ、またこれから入社してくる若手社員たちだ。
システム開発においては100年先まで見通すことは難しいが、それでも10年後の未来に向けて私も種をまいている。それこそ私がこれからの社会人としての人生で為すべき事であり、まだ残せるものだと思う。
