
5月の半ばのある朝、自社の人事部長から「今日12時から打ち合わせをしたい」と連絡があった。
この時期に人事から急な打ち合わせと言われればそれは大半が異動・昇格に関する内容だと予想して緊張した面持ちで打ち合わせに臨む。と、人事部長から告げられたのは『出向の終了、自社への帰任』だった。また帰任と同時に管理職への昇格の内示もあった。
正直なところ『帰任・昇格の喜び』よりも『驚きと困惑』の気持ちが勝っていて複雑な心境だ。
10年以上にも及んだ出向がようやく終了する。その間、特に50代に近づくこの数年は、管理職に上がれない事の不安と焦り、自社への貢献感、仕事のやりがいとモチベーションなど、様々なことを考えてきた。
そして昨年度の人事制度の変更によって管理職でなくても昇給できるスキームが生まれたことで管理職へのこだわりもなくなった。
今まで通り目の前の仕事に真摯に取り組み、出向先で評価されれば給料も上がるだろう。再びどこかで頭打ちにはなるだろうが、それでも当面はモチベーションは保てる。出向先でやりがいのある刺激的な仕事に取り組みながら定年後を見据えて家庭生活を充実させていく、そんな人生も悪くはない。様々な気持ちを自分の中で整理していた。
だが人事制度が変わる前に訴えていた「昇給しないことへの不満と不安」を会社側がくみ取ってくれたのだろうか。もしくはベテランの中堅管理職が必要になっただけかもしれないが、結果的には7月から自社に帰って管理職に就くことになった。
だからといって10年前に外れたレールに復帰したと言うことにならない。役職者とはいえその位置づけは次長よりも一つ下だ。これが10年前ならこれから次長や部長、本部長といった出世コースも期待できたかもしれないが、40代後半の私は会社では主役にはなれない。40代前半の次長の元で、次長を支えてこれから主役になっていく若手をサポートする役割を求められているのだろう。
実際、若いころと比べれば体力・記憶力は圧倒的に落ちている。結婚して中高生の子供がいる中でプライベートを犠牲にして会社・仕事に貢献したいといったモチベーションもない。そんな中で今更新しい事をイチから学びその分野で若手に勝つのは難しい。
それよりも20年にもわたる社会人経験、特にそのうち半分以上を過ごしてきた運用会社・事業会社での出向経験こそが私にとっての強み・財産であり、次の仕事でその強みをどう生かすか、掛け算にして価値を高めるか、会社・組織に貢献するかが重要だ。
幸い出向先に与える影響は最小限に抑えられるだろう。
2年前に一度グループ長から私に「帰任のオファーがあった」と相談があり、私は属人化しているタスクや経験値の共有ができていない過去の案件などの棚卸の指示をうけた。そしてドキュメントへの落とし込みや他部への移管、メンバーへの引継ぎ・共有を進めてきた。その「オファー」自体は勘違いだったものの、これがきっかけとなって私もそれまで自分でやっていた作業・タスクをできる限りメンバに割り振り、自身は進捗管理や突発的なグループ長からの指示への対応など管理職として期待される行動をとるようにした。それによって視座が高くなり、グループ内だけでなくもっと広い範囲をみた最適な判断ができるようになった。
自分で手を動かして課題を解決しタスクを進めるのも楽しいが、メンバやグループを動かしてより大きな成果を得るのもやりがいがある。出向元で出世・昇格できなくても自身の成長を感じられ、モチベーションを高く保てるようになったのも、この仕事への取り組み方の変化が一因だ。
そのため今回の帰任にあたってグループ内から管理者が抜けるという影響はあるものの、作業・案件レベルでの引継は思った以上に少なかった。また管理職が抜けるのはその下のメンバが成長するチャンスでもあり、組織の流動化・活性化にもつながる。しばらくは作業の遅れや漏れが発生することもあるとしても、中長期的に見ればよいタイミングでの帰任なのかもしれない。
唯一の心残りは昨年度から始まった業務移管プロジェクトに関われなくなることだ。昨年に最初のステップの案件を無事に完遂し、今年度はさらに関係各社が増えた大きなプロジェクトが始まっていた。3年間のリミットがある中で課題や調整事項が多く難易度は高いがその分やりがいもある。私としては長年続いた出向の集大成として是非ともこのプロジェクトを成功させ、そのあとで次(別会社への出向、または帰任)に進みたいと思っていた。その矢先での帰任内示だったため、現時点では帰任後の期待感よりも出向元を去る事による喪失感の方が大きいかった。
だが雇われの身としては余程理不尽なことでもない限りは人事に文句は言えない。私が出来ることは残りの期間に少しでも多くプロジェクトメンバと議論し、プロジェクトの成功に繋がるようなアイデア、昨年度の案件で得た経験・知見を成果物として形にすること、そして残ったメンバを応援することくらいだろう。
帰任後の処遇はどうなる?
出向元のメンバやプロジェクトも心配だが、7月になれば新しい職場で管理職として1からスタートを切ることになる。出向先で所管しているシステムを担当する部署への帰任、と聞いているので全くの新天地、というわけではないのだが、10年以上も開発から離れているため基本的なお作法や社内ルール、社内システムについても分からない事ばかりだ。また7月からの体制についても、自分が管理職になる事以外はなにも知らされていない。帰任先ではだれがどこまで今回の人事を知っているのか分からないので積極的に探りを入れることはしていなかったが、引継ぎがひと段落して時間があいてきたので、ぼちぼちそのあたりの情報も確認したい。
だがそれよりもまず気になることは7月からの処遇、具体的には給料だ。出向中は残業代が支給されているが管理職になれば裁量労働に変わるため、残業代の代わりに基本給の23%相当の裁量労働手当がつく。そして今の基本給ベースで計算するかぎりでは裁量労働手当が残業代を下回るため、実質の手取りは現状よりも下がるのだ。管理職になることによる基本給、および賞与ベースが上がるはずだが、管理職1年目でそこまで好待遇は期待できないし、非管理職の給与レンジ上限の方がより基本給が下がる可能性だってある。
とはいえベースアップによる昇給もあるかもしれないし、さすがに現状から著しく給料が下がるということはないだろう。それよりも、フレックス制も使えるようになるため、他メンバとの調整次第ではあるものの、制度上は始業・終業時刻の前倒しも可能となるなど、働き方の選択肢・自由度が増えることはメリットだ。また不要な残業をできるだけ減らすため、自分が仕事の緊急度・重要度をこれまで以上に意識しすることになり、仕事に対するメリハリも出るだろう。
仮に給料が一時的に下がったとしても、50代が近づくタイミングで仕事の効率性を高め、そして私生活・ライフの充実度があがることの方が長い目でみれば重要だと思う。
7月、第5章の始まり
私が2003年に今の会社に新卒で入社してから22年が経つ。その間ちょうど5~6年間隔で合計4回の異動や出向があり、今回の帰任はいわば第5章の始まりだ。
現時点では帰任後の具体的な情報はほとんどなく、何を期待されていてどういった課題・困難が待ち受けているか分からないので、不安な気持ちがないと言えば嘘になる。これまでも所属・仕事が変われば新しい環境に慣れるのに苦労し、そこで主体的に仕事を回せるようになるには2~3年を要した。ある程度情報がそろい、現状理解が進まないと動けないのは性分らしく、周りに物足りない印象を与えてしまうこともある。だが最終的には満足のいく成果を残し、ある程度の評価も得ることができたという自負がある。また出向・異動における苦労と成功の経験は私にはとっての財産・武器であり、その経験に裏打ちされた自信もある。おそらく今回も帰任してしばらくは苦労するだろうが、きっと何とかなるだろうと楽観的に思っている。何があっても命まで取られることはないのだから。
異動・出向を繰り返してきたからこそ思うのは、居心地のよい場所に留まっていては一定以上の成長は望めない、ということだ。昇進・昇格により担当領域が広がることでも成長することはできるが、その成長は広さよりも深さ(専門性)に特化したものになる。乗り越える困難が大きければそれだけ成長の幅も大きいので、担当領域の拡大よりも新しい領域に飛び込む方が得られる経験値も大きい。
また居心地が良い場所にいると少しずつ致命的な状況に陥いっていることにも気づかない。ゆでガエルのように気付いたら手遅れになってしまうこともある。特に私のように出世ルートから外れているとなおさら保守的になり、現状を維持したい気持ちが強く変化を恐れるようになっていく。そういった意味では、20年間で5回も異動・出向を繰り返してきた私のキャリアは貴重であり、これから残された社会人人生を歩む上での強みになることは間違いない。
それが出世や昇格が遅れた一因であったとしても、すべて終わったときそれまで歩いてきた道を振り返り、その道が間違いではなかったのだと思えるよう、第5章でもまた頑張ろう。