
中学校の剣道大会
息子の通う中学校には体育の授業とは別に「剣道」という授業があり、そして毎年3学期になると全校生徒が参加する剣道大会が開催される。先日、中学三年生の息子にとって最後の剣道大会があった。
中には経験者も数名いるが、息子を含めてほとんどが中学生になってから竹刀を握る。また通常の授業では素振りや型の練習が中心であり、試合をすることはほとんどない。そのため多くの生徒が試合未経験の状況で年1回の大会に出場する。週1回の授業ではそこまで飛躍的に強くなるものでもなく、試合経験も不足しているので互いに攻め手を欠いて引き分けとなったりチャンバラのような試合になることもある。
だがそれでも3年間竹刀を振り続けた息子の試合は見ごたえがあり、常に前に出て一本を取ろうとする姿には感動を覚えた。グループ戦のメンバーに恵まれたこともあって息子のチームは準決勝まで進み、息子は4試合中1勝3敗と言う結果だった。親としてはこの1勝を見れただけでも、仕事を休んだ甲斐があったというものだ。
審判の難しさ
剣道の試合を生で観戦したのはこの中学校での大会が初めてだった。竹刀の動きが早く、また面を打つだけでは一本とはならないなど、柔道や球技などとは異なり、素人には一本の判断がとても難しい。強さや当たり所などいろいろと基準があるようだった。
全学年が一斉に試合を行うため会場には10以上のコートが用意され、各コートは2名ずつ剣道部員が審判員として配置されていた。だが剣道部とはいえ経験値は様々で、中学から剣道を始めた1年生であれば剣道経験は1年にも満たない。そのため若干頼りなく旗を上げたり、上級生と判断が異なり困惑している審判の姿も度々見かけた。2名の審判の判定が一致しなければ一本とはならないため、迷った結果上級生の判断に促されて旗を上げる、ということもあったろう。
通常、試合中は審判がルールであり、その判断は絶対だ。審判が不公平な判断をしたり判定を覆すようでは試合が混乱し、競技が成立しなくなってしまう。そのため審判には競技やルールの理解だけでなく、判断力と決断力、そして毅然とした態度が求められる。だが剣道部員は中学生なので、教師や顧問のように立場が上のわけではなく、そういった権威も持っていない。選手と同じ立場であり、剣道の経験だけでなく人生経験もそこまで多いわけではない。
そんな中でも審判である限りは決断し、判断し、一本を宣言しなければならない。そこに大人と同様な態度と判断を求めるのは酷だろう。
審判の存在
私は中学から大学までハンドボールをやっていた。大学生になってから地元の市民大会に高校の同級生たちと参加するようにもなった。中学・高校では各大会や練習試合でも顧問やコーチが審判をしていたが、大学や市民大会では自分たちが出場しない試合の審判を割り当てられることも多かった。
私自身、ハンドボールの経験は長いものの、審判をする際はいつも不安でいっぱいだった。ファールを見逃したり、判断ミスをして批判されるのは怖いし、その結果が勝敗を左右することもある。
だが所詮は市民大会であり、一つの判断ミスが致命的な結果をもたらすことは稀だ。そして仮に試合結果に大きな影響を与えるミスをしたとしてもその影響は市民大会の枠を超えることはない。プロの審判を連れてくるような規模でないからアマチュアがボランティアで審判をしなければ大会が成り立たない。参加者は皆そういう前提での大会であることを理解している。
審判をする試合前に、運営側(中学の頃の顧問)から注意されたことは「文句を言われても判定を変えるな」の一点だけだった。審判が選手個々の意見に影響されることがあってはならない。審判は適切に試合を進行する責任があり、ルールを犯したプレーがあれば試合を止めて、選手にペナルティを課さなければならない。ルールが守られるからこそ純粋に実力を競うことが出来る。
審判をする人がいなければ勝敗以前に大会を開催することができない。何より重要なのは審判がそこに存在し、必要最低限の判断をして試合の運営に支障をきたさない事だ。
審判をすることのメリット
余程に自信があるのでなければ、喜んで審判を引き受ける人は多くはないだろう。だが学生など若いころに審判を経験することによるメリットもある。
①競技者として幅が広がる
審判をするにはその競技を俯瞰的にかつ冷静に見る必要がある。また双方の視点で互いのプレーを評価できるため、試合に出場するのとは違った学びを得られる。選手であれば理解すべきルールは必要最低限でよいが、審判はファールの基準などちゃんと理解しなければならない。それは競技そのものをより深く学ぶことになり、自身がプレーをする際の幅を広げることに繋がる。
②責任を持って決断する経験を積む
審判として責任を持ってプレーを評価し、得点・ポイントや勝敗を判断し、ファールがあれば試合を止めるのは精神的には負担だ。だが判断を誤った場合でも多くの場合は致命的な事態になることはないし、周りに助けてもらえることもある。選手や観客からのプレッシャーを感じつつも、そういった経験を得ることは、社会人になってからも役に立つだろう。学生であればなおさら、周りは温かい目で見てもらえることも多い。失敗を経験するのは若い方がダメージがずっと少ない。
学校行事という枠組みの中、反強制で審判を経験した剣道部員たちにとって、毎年の剣道大会はいろいろな面で成長できる貴重な機会になることだろう。1年生と3年生とでは、審判をするにしても態度・雰囲気共に格段の違いがあり、3年生はだれもが自信を持って審判をしていた。学校は教育と成長の場なのだな、と改めて実感した。
決断する経験を積もう
社会人になると、給料をもらう以上は自身の発言やアサインされた仕事に対して責任を持たなければならない。だがそれ以上に責任を持って判断し決断できるかどうかで評価が大きく分かれる。言われたことに従うのは最低限であり、または不平不満を言うだけならだれでもできる。指示を待つばかりでなく、自律的かつ能動的に動けるメンバが多ければ強い組織となり、パフォーマンスがグッと高まる。不満があれば改善に向けて行動することで自身の満足度も高まるし、効率や品質が向上するのなら会社にとっても望ましい。
就職してからでも、実社会で様々な経験を積むことはできる。だが学生の頃にすでにある程度責任ある立場で判断・決断し、また失敗や反省を経験している人は、そうでない人と比べてスタートダッシュが大きく異なる。一度凝り固まった保守的な考え方を変えるのは難しく、不幸にもそういった職場環境で社会人生活が始まり、保守的・受け身の状況に置かれ続けては、もはや自律的に動くことが出来なくなってしまう。そして評価されず、それに見合った給料しかもらえない。格差社会の下の方に留まって一生を終えかねない。
それならないためにも、部活動や学生生活の中で決断を迫られる状況を経験しておくほうが良いのだ。苦労は買ってでもしろ、というのもそう言うことだ。