最近慣れてきたこと

人生をマネジメント
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以前なら気になっていた、ストレスを感じていたことが普通になり、すっかり慣れ始めていることに気づいた。

物価高

さまざま要因でインフレが進んでおり、ほぼ毎月さまざまな商品、サービスの値上げが発表されている。デフレ時代と比べれば価格が2~3倍になったものもある。パン屋に行っても100円台はほとんどなく、食材が豊富で凝ったものなら500円近くすることもある。

コロナ前の飲み会は、4,000円で飲み放題付きのコースは普通で、3,000円台のリーズナブルなお店も多かった。だが今は飲み放題なしで4~5,000円、そこに飲み放題を足すと6~7,000円にもなる。コロナ禍によって飲み会や酒離れが進んだせいもあるだろ。

カフェや洋食店でランチを食べようとしても、500円ランチなどはすでに存在しない。1,000円を下回ればリーズナブルで、少しオシャレなお店なら1,500円前後になるお店も少なくはない。

そういった価格設定であっても、美味しいパンは食べたいし、たまには友人や仕事仲間と飲みにも行きたい。家族でオシャレなカフェでランチタイムを過ごしたい。高いとは思うが代わりがないのであれば払わざるを得ないし、払った額に見合った結果が得られたかどうかが重要。つまりはコスパだ。

店側も、価格に見合った商品・サービスを提供できれば客は足を運んでくれる、ということが分かってきたのだろう。自信があれば、値上げもできる。そして安さだけを売りにしてきた店は撤退を余儀なくされる。ある意味正常な市場経済だ。

もちろん、物価高や人手不足を考慮して昇給・ベースアップが可能な会社で働いているからこそ言える事で、給料が上がらなければ今までの生活は維持できない。何かをあきらめざるを得ない日々は心身ともにストレスだろう。

外国人

数十年前は街中で外国人を見れば物珍しかったが、いまはもはや普通の光景だ。

京都や大阪の観光地に行けば外国人観光客で溢れている。彼らは貴重な外貨をもたらして日本経済を支えてくれているのだから、観光業に直接かかわっていないとしてもおもてなしの精神を持って、肝要になることも必要だ。

また大阪市内を歩いていれば、観光客ではなさそうな外国人を目にすることも多い。仕事に日本に来ているのかもしれないし、何かの理由で日本に住むことになったということもある。旅行や出張でホテルや旅館に泊まれば、従業員は一定数が外国人だ。コンビニや飲食店の店員だって、流ちょうな日本語を話す外国人が多い。

小中学校でも、アジア・欧米諸国の親をもつ子供を目にするし、生徒の名簿をみても日本人ではない苗字も目立つようになった。

少子高齢化、人材不足、円安など、様々な理由で外国人が日本にくる理由は様々だ。そしてそういった理由の元で、日本で暮らす外国人も増えている。我々の日々の生活はすでに多くの外国人に囲まれて支えられている。もはやそういった外国人の存在なしには、日本と言う国が成り立たないところまで来ているのだろう。

役職につかない(つけない)こと

出向先の上司(グループ長)や部長は10歳近く年上だが、最近は年下のグループ長が増えてきている。また自社(出向元)でも次長職には次々と若手が抜擢され始めている。IT黎明期を支えた50代が現役のうちに若手を育て、若返りを図りたいと考えるのは事業を今後も継続していくために重要なことだ。

私は数年前までは、同期が役職につき部長にまでなっていくことに焦りを感じていた。長く出向していたことを後悔し、昇進していく同期と同じ評価ラインに立てていない事が不満で、人事に訴えたこともある。給与レンジの壁を越えられず、今後も昇給はないと告げられた時にはひどくモチベーションが下がった。

だが今年度の人事制度改革で役職に応じた昇給の壁がなくなり、役職に就かないキャリアという道が作られたこともあって、今はその焦りや不満は消えている。役職は関係がなく、責任ある仕事ができるかどうか、顧客の要求に応えられるかが重要なのだ。そして成果に応じた昇給・賞与によって自己の評価と成長を実感できれば、それがモチベーションとなる。

役職そのものに対するこだわりはない。役職者が言うから正しいというわけではなく、発した言葉や下した判断に対して、役職に応じた責任を伴うようになるだけだ。偉くならないとできない事はあるがそれが全てでもない。私はアラフィフの一兵卒としての役割・責任を果たせばよい。逆に役職に就くことによって、行動・判断に遠慮や配慮、制限が生まれる事だってある。それならば役職にはつかずに自由に思うがまま、自分が信じる道を進むのも悪くはない。

慣れか諦めか

どうしようもない事に抗い、思い通りにいかないことに不満を持ち、ストレスを抱えて生きる毎日は決して幸せではない。それなら現状を受け入れたうえで、自らが出来る範囲で最善を尽くして日々をよくしていけばいい。

ただ、少し頑張れば変えられることまで諦める必要もない。そのさじ加減を間違えると無気力で主体性のない人生にもなりかねない。

無理はせずに、それでも精一杯毎日を生きる。それでこそ日々は充実し、そして幸せに過ごすことが出来ればよいと思う。

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