令和時代の運動会

時間をマネジメント
スポンサーリンク
スポンサーリンク

秋と言えば運動会の季節だが、今年は昨年にも増して残暑が厳しく10月になっても夏日が続いている。最高気温が25度を超えたら夏日、というのだから、日本にまだ夏が続いている、ということか。

変わっていく運動会

先日、娘の小学校の運動会があったが、今年も昨年と同様に午前中のみのコンパクトなものだった。

10月にもなればさすがに命の危険を感じるほどに気温が上がることはなく、室内や日陰はとても過ごしやすくはなった。だがいまだ日中に屋外で長時間過ごすのは生徒だけでなく保護者にとっても負担が大きく、長時間野外活動を行うにはリスクが高い。また半日で効率よくイベントが終わり、午後からの時間が空くのは他の習い事や家の用事への影響が減るのでありがたい。

コロナ元年に小学校に入学した娘にとっては午前中で終わる運動会が当たり前になっている。私も最早コロナ前の運動会がどのような内容だったか正直あまり覚えていない。午前中では終わらなかったので、昼休みを挟んで午後も運動会が続いたのだろうが、保護者は一度帰宅して昼食を取り再度登校したのか、記憶は定かではない。

一昨年の運動会はコロナ禍で密を避けるため、午前・午後に分けた二部制で開催された。また昨年は全学年合同に戻ったものの、プログラム数を減らして半日で終わるような内容に変更された。密を避けるためというよりは夏の暑さで練習時間を確保できない事、また運動会当日に生徒や教師、保護者が長時間外で過ごすことにより発生するトラブルを回避することが主目的だったのかもしれない。

運動会のカイゼン

昨年の運動会では、今まで一日がかりだった運動会を半日で終わらせたい、といった気概のようなものを感じた。また「持ち時間を守る」「時間内に終わる」という目的に対して先生、生徒ともに必死になっており、時間厳守のための焦りが伝わってきた。にもかかわらず初めての試みは想定外が多く、超過時間が積み重なって最終的には予定から30分以上も遅延することになった。

昨年はすべてのプログラムが5分~10分と小刻みにスケジュールされていた。どんなに切り詰めても5分で終わるのは無理だろう、というプログラムもあり、実質は努力目標に過ぎないものだったのかもしれない。生徒、教師共に時短を心掛けて行動していたことは伝わってきたが、予定時間に終わったプログラムは数えるほどしかなかった。

それが今年は「1年~3年の個人走:10分」「団体競技:内容に応じて10分、または15分」「4年~6年のリレー:20分」のように、時短が可能な競技とそれ以外で時間配分が変わっていた。また開会・閉会式はそれぞれ5分しかなく、校長・教頭の挨拶は一言のみで、PTA会長や観覧者の挨拶・総評はなかった。開会式も各競技でも音楽に合わせた入場行進はない。生徒は待機場所から直接集合場所に移動する。それでも各クラスの統率がとれていて、アナウンスに従ってテキパキと行動ができていた。

各プログラムの時間の使い方も洗練されており、無用な待ち時間がかなり少なかった。とくに各競技の得点の集計が早く、競技が終わってすぐに結果が発表されるので、生徒・保護者が炎天下の中をただ座って待つ時間がずいぶんと短かった。競技の時短は昨年度にある程度はやりつくしてしまい、今年はその裏側の時短・効率化を検討したのだろう。競技と平行して集計を進めたり、役割分担、段取りを決めて、そこも含めて練習をしたのかもしれない。

後半のリレーでは逆に前倒しで競技が終了してしまい、5分近くの待機時間が発生したほどだった。

運動会に必要なモノ

だがいくら時間を短くしても内容が損なっては運動会の意味がない。子供たちの成長、頑張る様子を見ることを保護者は楽しみにしているし、子供たちだって練習の成果を褒めてもらったり、競技で良い結果が出れば嬉しい。そういった運動会の本質は守りつつ、3時間ですべてのプログラムを終えるにはどうすればよいか。先生方が昨年の結果を評価・反省し改善策を検討したのだろう。

時短だけが目的であれば、終りの整理体操を削る選択肢もあったと思う。だがただのラジオ体操を流行りの音楽に合わせたダンスに変える事で、開会式での準備体操・閉会式での整理体操が保護者にとって見どころのある、立派な一つのプログラムになっていた。お遊戯やダンス、といったプログラムは昨年から無くなっていたので、代わりの意味合いもあるのだろう。

応援合戦やブラスバンド部の演奏などは以前の運動会の見どころの一つだったが、それらはコロナ禍を経て姿を消したことは、保護者や部員の生徒からの反対もあっただろう。小学校のブラスバンド部にとっては数少ない貴重なお披露目の場であり、また勧誘の機会でもある。難しい判断ではあるが、令和時代の運動会として設定した目的からは外れた、と言うことならやむを得ない。代替案は運動会とは別のところで考えるべき問題だ。

PDCA(けてぶれ)

会社での改善活動と言えば「PDCA」、Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)が有名だが、小学校では「けてぶれ」、計画→テスト→分析→練習というフレームワークを使用しているらしい。

運動会においても教師と一部の生徒が中心となり、日々の練習の中で小さな「けてぶれ」サイクルを実行し、昨年の運動会の結果を受けて全体のカイゼンをはかったに違いない。そして今年の運動会の練習で再び小さなサイクルを繰り返すことで、去年より数段さらに洗練された、質の高い運動会に変えることができた。今後も引き続き「けてぶれ」サイクルを繰り返すことで、来年はさらに良い運動会になるだろう。

そういった今後のカイゼン(けてぶれ)サイクルを含めて、まさに令和時代の運動会の完成形を見た思いだった。来年は娘の最後の運動会となるが、今からとても楽しみだ。

タイトルとURLをコピーしました