粉瘤(毛巣洞)の手術を受ける
1年ほど前だろうか、お尻の割れ目あたりに違和感があり、触ってみるとしこりのようなものができていた。その時点では特に痛みはなかったが、数日経つと水膨れのように腫れ始めて少しずつ痛みが強くなっていった。そして腫れと痛みのピークを迎える頃、なにかの拍子にその水膨れが破裂して水分と血液が抜けると痛みは治まった。だが数週間するとまた腫れて痛くなる、その繰り返しだ。ちょうど割れ目部分のため姿勢を正して椅子に座っている分には影響はないが、背もたれに体重を預けると腫れた部分が圧迫されて耐えがたいほど痛かった。これが約1か月のスパンで繰り返されるためかなりストレスになっていた。
すこし調べてみると、そのしこりは粉瘤(アテローム)という一種の『おでき』らしい。皮下に老廃物がたまり、それが炎症を起こして腫れているようだ。デスクワークの多い人によく見られる「毛巣洞」の可能性が高そうだ。お尻の体毛が皮膚の中に潜り込んでしまったことで感染症が起こり、膿・痛み・腫れを伴う。自然治癒はせずに放置をすると拡大していくというので、意を決して皮膚科で見てもらうことにした。
診断の結果、そこまで大きなしこりではないものの放置しても良いことはないので除去手術を勧められた。私も定期的にやってくる痛みに耐える日々から逃れたかったため、手術は即決だった。ただ患部をメスで切り取るので手術後数日は出血が続くため、血行が良くなる飲酒は原則禁止。さらに抜糸までの2週間は運動はできないという制約があったため、テニススクールが休校期間にはいる3月末に手術を予約した。
手術前の麻酔注射こそ痛かったが、手術自体は15分程度でサクッと終わった。そこまで難しい手術ではないのか医者の腕が良いのか、麻酔が切れたあとも思ったより出血・痛みはなかった。数日間は入浴後にガーゼを交換する必要があり、お尻の割れ目という死角に適切にガーゼを当てるのは一苦労だったが、それも数日で不要になった。今は抜糸も追えて、あとは縫合して弱くなっている皮膚が元に戻るのを待つばかりだ。
病院でお尻を見せても羞恥心は感じる必要はない
当然ながら、粉瘤の診断や除去手術、抜糸の際はお尻を人前に晒さなければならない。粉瘤は尾てい骨の下あたりなので下着を少しずらせばよいが、手術となればお尻の穴まで医者や看護師に見られてしまう。しまいには、お尻の毛が邪魔なので一部の毛をそられてしまう始末だ。また抜糸の予約の際には「午前中は女性医師が担当ですがよろしいですか?」と尋ねられた。私は少しだけ考えたものの、性別にこだわる理由はなにもないので2週間後の朝イチに予約をした。抜糸はすぐに終わるとのことでそのまま出社できると何かと都合が良い。
だが医師の性別について説明があったということは、それを気にする人が一定数いるということだろうか。
私はほとんど恥ずかしさを感じなかったし、お尻を見せる事の抵抗感もほとんどなかった。医者や看護師は私の粉瘤を治療することが仕事であり、患者のお尻など毎日嫌と言う程見慣れているのだ。それに粉瘤が出来たことは不可抗力であり、痛みを取り除いて日常を取り戻すために病院に来ているのだ。私はいわば被害者であり、そこに羞恥心を感じる必要はなにもない。
病院で羞恥心を感じることは自意識過剰であり、医者と患者という関係である限りは恥ずかしく思う必要はない。治療すべき患部を見せることは病院では当たり前だ。そうしなければ医者はなにもできない。当たり前のことに対してはなにも恥ずかしいことはない。
もちろんこれは病院の中での話なので、必要もないのに陰部をさらすような行動をとることはいろいろな意味で恥ずかしいし、そもそも犯罪だ。
評価は見た目だけではない
羞恥心とは、相手からの評価を落とすこと、自尊心が傷つくことに対する恐れだともいえる。病院では羞恥心を感じると言うことは、お尻や陰部を見られて「汚い」「気持ち悪い」と思われるのが嫌なのだ。
だが働く上で評価を得るために大事なことは見た目ではなく中身だ。頼んだ仕事をちゃんとやってくれるか、責任感はあるか、能力はあるか、信頼できるか。そういった点こそが重要なので、見た目など基本的にどうでもよい。営業職なら第一印象に気をつける意味はあるし、見た目が良いことにデメリットはないのだが、成果を出せなければ話にならず評価もされない。
中堅からベテランになると、表面的なことよりも、言葉遣いや心遣いに気を配ることのほうが何倍も意味がある。信頼を損なったり相手の尊厳を傷つける行為こそ恥ずべきだろう。これは依頼者や顧客に対してだけでなく、チームメンバや部下に対しても言えることだ。マネジメントをするのに、自分の見た目はあまり意味がない。
また、私は結婚して15年以上たっており、円満な家庭を築けているので、今更必要以上に異性の目を引く必要もない。特に自分の外見については、マイナスにならない程度に気をつけていれば十分だ。
向上心は持ち続け、加齢には抗う
私も人並みに見た目を気にしているが、それは表面的な話だけではない。
頭髪や衣類を正し、身だしなみには気をつける。暴飲暴食を控え、栄養バランスのよい食事をとる。適度に運動し、夜更かしをせず、安定した睡眠時間を確保する。そうして日々の生活を整えると、自然とコンディションも良くなり、仕事において十分な力を発揮出るし、私生活にも活力が生まれるのだ。
また「かっこいい父親」であり「良い夫」でいることは、家族から信頼され愛され、承認欲求を満たすことに繋がる。自制し向上心を持ち続け、自己研鑽することで自身の成長を感じ、日々の満足度も高まっていく。
見た目以上に、心身のコンディションを維持することが重要で、それが幸せな毎日を作っていく。そして加齢に伴う体力・気力の低下に抗うことで、その先の人生がより充実したものになっていく。ただ闇雲に見た目を気にして、表面的な部分に羞恥心を感じても何もならない。
過度に周りからの評価を気にするのではなく、自分がどうあるべきか、どうなりたいかを基準にして生きていくことこそ肝要だと思う。