小学生の娘と『葬送のフリーレン』を見ていた時のこと。
アニメ自体の詳細は割愛するが、一級魔法使いの試験に合格すると何でも好きな魔法を一つ覚えることが出来る、という話が出てきた。そこで娘にどんな魔法を覚えたいかおもむろに問うてみた。
『失くしたものが見つかる魔法』を覚えたい
娘はお年玉やお小遣いがあると欲しいものにすぐに使ってしまう。自身の欲求に素直であることは良いが、物欲の強さには親として不安になるほどだ。そんな娘だから『お金持ちになる魔法』と言い出すのかと思っていた。もしくは小学生らしい『動物と話せる魔法』や『空を飛べる魔法』といったファンタジーな類もありえる。
だが娘の答えは私の想定外だった。
どれだけお金があっても、無くてしまえば同じものは二度と手に入らない。同じ商品・似たような商品を購入することはできても、それはやはり別物だ。誰かからもらったプレゼントや、旅先で購入したアクセサリーには想いがこもっていて、その想いや記憶まで一緒に買い直すことはできない。『失くしたものが見つかる魔法』とは、これ以上ない実用的な魔法ではないか。目からうろこが落ちた思いだ。
娘は物欲は強いものの、買ってしまったものへの執着心はあまり強くはないと思っていた。せっかく買ったアクセサリーがリビングテーブルの上に数日間置きっ放しになっていることもあるからだ。いざ身に付けようとしたときに、どこにしまってあるか分からないことも多々あった。そのため、娘にとっては手に入れる事自体が主目的であり、所有して物欲を満たすことが出来れば満足なのかと思っていた。
だがそれはただ片づけることが面倒で後回しになっているだけで、買ったもの・もらったものに対してはそれぞれに想いがあり、気に入って購入したものが見つからなければやはり悲しいのだ。無くしてしまった数々のものに対する後悔もあるのだろう。決して買ったものに対して執着心がないわけではなかった。
これは娘に対する新たな発見であり、また思い込み・決めつけはよくないと反省した。
中学生の息子は『動物に変身できる魔法』
それに対して息子が欲しい魔法はファンタジー一直線だ。その理由も「便利そうだから」という、なんともふわっとしたものだった。思春期で難しい年ごろとはいいながら、男子は女子に比べてずっと幼い。その幼さに、まだ私の知っている息子のままなのだと妙に安心した。
所詮はアニメ・空想の話なのだから別に現実味がなくても良いのだし、実際に動物に自由に変身できればそれもまた実用的ではある。どんな答えであっても正解・不正解はない。
娘や息子に質問をしつつ、はて私ならどんな魔法が欲しいかな、と考えてはみたものの、特になにも欲しいものはなかった。それは想像力の欠如であったり、現実を知っている大人の寂しさからくることかもしれない。
だが魔法はあくまで目標をかなえる手段に過ぎない。魔法を覚えさえすればその目標が叶ってしまう、という状況は、正直私は魅力を感じない。
『魔法は探すのが一番楽しい』
アニメの中では、魔法使いであるフリーレンは、例え試験に合格してもその特典は辞退すると言った。『魔法は自分で探している間が一番楽しい』からだ。
私はこの答えにもまたグッときたし、納得もした。出来なかったことに対して、努力や苦労を重ねて出来るようになってこそ充実感を得られるし、自己肯定感も増すのだ。そこを一足飛びにしてしまっては、得られた能力への思い入れも薄まってしまうし、つまらなさすら感じる。
魔法のように、努力をいくら重ねても得られない能力はちょっと話が違うとも思いつつ、それでも自分で努力をする中で「出来ない」を「出来る」に変えていくことが成長なのだ。何歳になっても自身の成長を感じられることは確かに楽しい。そして自身の努力によって目標を達成し、それを評価されることは至上の喜びだ。
アニメを題材にした家族間の他愛もない会話のなかで、自身のモチベーションの源泉に気づいた、という話をしたためておく。