進んで失敗したいと思う人はいないが、失敗しない事を最優先にした判断を続けると人生は間違いなく悪い方向に転がっていく。
当然ながら失敗が許されない事案はある。例えば電気・ガス・水道・決済などの生活インフラが利用出来なくなると生活・経済の面で影響が大きく、場合によって命の危険が生じることもある。そのためそれらの工事やメンテナンスを行う場合は最悪の事態に陥ることがないよう計画を立て、事前の検証を入念にして事に当たる。また医療に関しても失敗=死に繋がる可能性があるので、医療従事者は医学部や看護学部など専門機関で教育を受け、さらに必要な専門知識や技術を有することを国家試験で国が保証することにより、品質や安全性を担保している。
それ以外にも、失敗すると取り返しがつかないケースでは、相応にコストと時間をかけて失敗を回避するための仕組みがある。ただ銀行決済サービスや携帯回線の障害も頻発するなど、入念に準備をしていても失敗は起こり得るのだから、根本的に人が生きていくのに失敗を避けて通ることはできない。
人は本来、未知に挑戦し、失敗し、学んで成長していく
生まれたばかりの子供にとってはすべてが未知であり、初体験のオンパレードだ。言葉を話し、歩き、服を着て、食事をする。そういった基本的な動作は教えられるものではなく、失敗を繰り返す中で自ら学んで身に着けていく。両親や周りのサポートはあったとしても、教えられるというよりは環境から自分で学ぶ、というほうが自然だろう。失敗しても責められることはないし、うまくいけば褒めてもらえる。そうしてできる事が増えて成長していく。
そう、初めできないのが当たり前だ。学んでいない・経験していない事を指示されて完璧にできるわけがない。未知の質問に正しく答えられるわけがない。たとえマニュアルが整備されていても、下調べをして準備したとしても、想定外のことが原因で失敗することは起こり得る。100%失敗しないなんてことはあり得ない。
本来、失敗は悪い事ではない。なにか原因があって失敗するのだから、その原因を改善・解消すれば成功に近づく。そうして人類は技術を蓄積し文明を発展させてきた。エジソンが電球を発明したように、あきらめさえしなければ少しずつ確実に成功に近づいていく。失敗してもそこからなにを学ぶかが重要だ。次に失敗せずに出来るようになれば、それが成長するということだ。チャレンジしなければ失敗の確率は低いかもしれないが、それでは学びは得られず成長もしない。
マニュアル化による弊害
システム運用の現場では万が一にも作業ミスはあってはならない。コマンド一つ間違えればシステムの稼働に異常をきたし、業務に影響がでることで会社に損害を与えてしまうことになる。そのため運用作業は完全にマニュアル化、ツール化されていて、そこに作業者の判断が入り込む余地はない。マニュアルを遵守すれば誰でも同じ作業ができることが求められる。
だがシステム運用においては定例・定型の運用作業だけではなく、システム障害といったインシデントも発生する。運用現場は引き継がれた手順で一時切り分けを行い、開発や保守担当にエスカレーションすることはできるが、マニュアルに載っていない事は何もできない。本来システムに一番近いところにいるのに、障害が発生しても主体的、能動的に動くことはできない。
完全にマニュアル化された運用現場の作業者は、障害対応のためのスキルを持っていないのだ。そのため障害復旧の際は開発・保守担当の対応を待たなければならず、止血対応ですら時間を要してしまう。
私が社会人になった20年ほど前は、今よりマニュアル・ツールは整っておらず、電話で運用担当にコマンドを伝えて実行してもらうことも多かった。そのため作業ミスで二次災害が起こることもあったが、今より運用担当もシステムのことを理解していて、少なくとも主体的にトラブル対応が出来ていたと思う。昔のほうが良かったというわけではないが、少なくとも今は運用現場に対応力がなくなっていることは事実だ。
マニュアル化によって失う自主性
システム運用以外にも、多くの業種でさまざまなマニュアルが整備されている。顧客応対などのサービス、飲食店での調理、様々な定型作業がマニュアル化され、未経験者でもマニュアルを元に研修を受ければすぐに労働力として機能する。効率的な手段を考えてもそれが一人だけしかできないのであれば効果は限定的だが、マニュアル化して多くの人が同様に効率的に作業できるようになればその効果は一気に跳ね上がる。そして作業者には特別なスキルや能力は不要なので、代わりが利くし派遣社員や契約社員など、低賃金で労働力を確保できる。
人材不足と言われているが、本当に不足しているのは特別なスキル、能力、経験をもった特別な人材であって、マニュアル通りの作業を淡々とこなす労働力はまだまだ溢れている。将来的にはロボットやAIにとってかわられる類の作業だともいえるが、実際に自動化しようとすると人を雇う以上にコストがかかる。代わりが利く労働力に対して高い賃金を支払う必要はないのだから、安い労働力をあてにする企業はまだまだ多いだろう。
そういった現場では労働者の質は様々なので、企業側は労働者を盲目的に信用することはせず、マニュアルに載っていない作業は原則禁止する。想定外のことがあればエスカレーションし、専用の部隊が対処する。そのためどれだけ経験を積んでもマニュアル作業の成熟度が上がるだけで、マニュアルに載っていないことは身につかない。失敗はしないから責められることもないが、成長もスキルアップもないので給料も上がらない。
マニュアルの通りに確実にできる作業を指示通りこなす。それなら失敗するリスクはかなり低くなるし、マニュアルや指示の内容が間違っていて、それで失敗したとしても悪いのはマニュアルであり、指示をした人だ。間違いに気づいても、それを確認する手順がマニュアルに載っていなければ、黙っていて問題が起きても自分の責任ではない。
そうして不安・未知・不確実なことを回避し続けても、とりあえず日々生きていける。だがその状況に不安や不満、疑問を持たなければ、仕事に対する自主性だけでなく、意欲や向上心、承認欲求すら失っていく。
約20年前の就職氷河期以降、派遣労働や契約社員が増えたことで企業は安価な労働力を大量に手にした。そしてそれらをマニュアルという枠に閉じ込め、低賃金を維持したまま労働力を搾取して利益を出す構造ができあがった。社会人となった最初の3~5年は、そのあとの土台を作る貴重な期間なのだが、この期間をマニュアルの枠の中で過ごしてしまうと抜け出すのは至難の業だろう。
この状況は古くて規模の大きい会社ほど根が深く、日本経済の闇の部分だともいえる。マニュアルを作る側と、マニュアルに従う側で二極化し、格差が広がっている。
そして私がやるべき事
この流れに抗うには、社会に出る前に如何に失敗を経験するかに尽きると思う。学生であれば失敗しても致命的になることは少ない。やり直しが効くうちに失敗し、そこから学んで成長し、そして成功する。この成功体験があれば、マニュアルの枠の中であっても失敗を恐れずにチャレンジし、成長することもできるだろう。
最近あるテレビ番組を見ていて、私は子供に対して、「失敗しないよう先回りしてしまう教育」をしているのだと知った。マイクロマネジメントな育児というやつだ。子供が失敗して悲しんだり辛い思いをしないよう、つい口を出して失敗を未然に防ごうとしてしまう。
だがマニュアル人間を多く見聞きにする中で失敗の大事さにあらためて気づいた。失敗はできるうちにたくさんしたほうが良い。学生の今がまさにその時期だ。そしてそこから学ぶことを手助けするのが私の親としての役割だ。日本経済の闇をどうにかすることなどできそうにないが、せめて子供の将来を守るためにはコントロールできる範囲で失敗を許容し、その上で子供を支えるという教育方針に改めようと思う。