10月は運動会の時期だ。これまでは9月末およびスポーツの日前後の休日に開催されることが多かったが、暑さ対策なのか最近は10月中旬から下旬に予定が組まれることも増えている。
先日、娘の通う小学校の運動会があった。コロナ禍中のここ数年は密を避けるために学年ごとに2部や3部に分けて開催していたが、今年はようやく6学年そろっての運動会となった。ただし全学年合同であっても半日で終わるプログラムなのはコロナ禍中と変わらなかった。酷暑の中で子供たちや教師、保護者の負担を考慮したのかもしれない。また、以前は学年ごと、参加する種目は「徒競走やリレー」「ダンス」「団体戦の競技」など3種目あったのだが、今年は2種目のみとなった。夏休み明けに残暑厳しい炎天下で長時間の練習をすることが難しくなってきたことも理由なのだろう。
時間厳守が最優先事項
運動会を半日で終えることにした背景を想像すると、コロナ禍で開催した運動会の実績から「これ半日で全学年できるんじゃね?」と気づいたのかもしれない。兄弟の運動会が午前と午後に分かれることによる保護者からのクレームもあるだろうし、行政側からなにか指示があった可能性もある。
内部関係者ではないので実際の経緯は不明だが、とにかく3時間ですべて終わることが最初に決まったのだと思う。1学年の持ち時間を25分とすれば合計150分。残り30分に開会式や閉会式、応援合戦や6年生用の特別プログラムを組み込めばちょうど3時間だ。この制約の下でどれだけ子供たちや保護者にとって楽しく思い出に残る運動会とするか。練習時間も限られてており、現場の先生方はとても苦労されたことだろう。
配られたプログラムには各競技の時間が5分単位で細かく記載されていたのだが、とても時間通りに進行できるとは思えなかった。事前の練習でおおよその時間は読めたとしても、数十人の生徒が移動するにはそれなりに時間がかかるし、想定外が一つでも発生すればそれが遅れとなるが、その遅れを取り返す余裕はまったくない、ギリギリの計画だった。
もしシステムの移行計画がこんな内容だったらレビューは通らない。多くの人が移行作業に携わる場合、後工程の開始時間になっても前の作業が終わっていなければすべての予定が狂っていく。いくつか制約事項や固定の作業開始時間が設定されている場合は移行作業そのものが破綻しかねない。そのため重要なシステム移行であれば入念な手順の検証やリハーサルを繰り返し、移行計画の精度を高めてから本番に臨むのだ。
希望的観測で約束してはいけない
実際、運動会当日は各種目が少しずつ遅れていき、最終的には30分ほどオーバーして終了した。先生方も、運営に携わった上級生、競技に参加した生徒たちには十分な指導が行き届いていてテキパキ行動していたので、これ以上の短縮は難しそうだ。だがそれなら最初から30分伸ばして3時間半開催としてもよかったのではないか。午前中にすべて終わる、という目標が独り歩きして、実態と合わなくなっていたような印象を受ける。または、練習では各競技にかかる時間は予定の範囲内だったので当日も大丈夫だろう、という正常性バイアスが働いたのかもしれない。個々の練習で予定時間を超過する競技があっても、全部通しでやればつじつまが合うという甘い考えもあっただろう。
見に行く側からすれば、子供の競技の正確な開始時間が分かるのはありがたい。家が近ければ競技の合間に帰宅することもできる。だが計画の見積もりが甘く精度が低ければ計画と実際の進行とのズレによって逆に保護者とのトラブルが生じかねない。今回そういったトラブル、クレームがあったかは知らないが、計画通りに物事を進めるのであればやはりバッファ(予備の時間)を積んでおくべきだろう。個々の競技時間をもう少し長めに見積もっておいたり、途中に休憩時間などの調整できるプログラムをセットしておいて、遅れが出たらその時間を短縮することも有効だ。
そもそも予定の時間に終えられない可能性が高いのならば各競技がいつ開始するかを5分単位でプログラムに記載する必要なんてない。実際に各競技が5分単位できっちり終わるわけではないのだから、不確かな時刻を記載することに無理があるのだ。それなら運動会全体の開始時刻と終了時刻、あとは各競技の目安時間を記載するくらいでも良かったのではないか。そんなプログラムが配られたら、保護者側も勝手に判断して予定をコントロールするだろう。守れないことを約束しようとするからトラブルが発生するのだ。
目標は大事だが、具体性に欠けると行動力に繋がらない
ただし、だからといって細かい時間設定に意味がないわけではない。「できるだけ効率的に運動会を推進する」「3時間で運動会を終える」という目標設定では曖昧で具体性に欠けるため、教師はまだしも生徒個々は、目標達成のために何をすればよいかが分からない。個人が自発的に目標達成のために行動せず、ただ指示を待ってそれに従うようだとそれだけでタイムロスが生じてしまい、目標の達成は困難になる。その結果、3時間半どころか4時間の遅延も発生しかねない。
大きな目標を達成するためには個人が共通の目的意識を持って、そのために何をすべきかの意識統一が必要となる。つまりはビジョンの共有だ。だが初めから同じビジョンを持った人が集まっているスタートアップならまだしも、小学生が高く大きな目標をそのまま個々の行動に変えることは難しい。そのため大きな目標をより身近で具体的かつシンプルな目標に分割し設定し直す。それが各競技毎の時間設定であり、また5分単位で細かく決められたプログラムなのだ。
3時間で終わるという高い目標を掲げ、その達成にむけて如何に競技一つ一つを効率的に進めていくか。競技自体の時間はどうしようもないが、入退場にかかる時間や競技の準備時間を短縮するには個々が目標を意識して行動しなければならない。そのために競技単位での目標時間を設定5分単位で設定し、小さな目標の達成を積み上げることで大きな目標の達成につなげていく。この小さな目標が個々に行き届いていたからこそ教師や生徒の行動に統率が取れ、そしてタイトなプログラムを3時間半で終わることができたに違いない。
効率を学ぶ場となった運動会
運動会の運営に携わっていた上級生にとっても、小さな目標を設定してその目標を達成していくことが大きな目標達成に近づいていく経験はかけがえのないものになったのではないか。事前の練習では、どうすればより効率的に進行できるかのトライ&エラーもあっただろう。これもまた貴重な経験だ。
中学・高校・大学を経て社会人になれば、予定・計画を立ててその通りに物事を進めることが増えていく。高校・大学受験でも計画的に勉強しなければ時間が足りなくなるし、予定通りに物事が進まなければ原因を分析して改善し、計画の立て直しも必要となる。それは社会人になってからも同様で、継続的に成果を出していくには適切な計画を立てること、計画通りに物事を進めること、問題があれば改善していく能力が求められる。そしてこういった能力は先天的なものではなく、経験から学ぶことも多いのだ。小学生での経験がどこまで将来に生かせるかは個人差もあるだろうが、学ぶ機会は早くて多い方が良い。
また、今回の運動会ではこれまで以上に「必要ない事」を省いていたシンプルなものに変わっていた。昔は運動会と言えば万国旗を飾ったり、入退場門を立てたりと準備が大変だった。また生徒たちも教室から自分たちの椅子を持って行っていたし、開会式・閉会式ではPTA会長や地域の代表やらの挨拶もあった。私が子供のころは、運動会のお昼は家族で弁当を食べていたのだが、午前中開催なら昼食をとらずに解散となる。一つ一つに意味があり、無くすことにも賛否があっただろうが、優先順位としては高くはなかったということだ。
運動会も時代に合わせて変わっていく。無駄を省いて効率的に物事を進めるというタイムパフォーマンスが重視されている現在において、運動会はただ楽しいだけではなく効率を学ぶ場になった。この変化は今の時代に合っているし、今後ますますスタンダードになっていくに違いない。
小学生にも時間に限りがあるし、保護者だって忙しいのだ。