感情表現について思うこと

感情をマネジメント
スポンサーリンク
スポンサーリンク
『シコふんじゃった。』と学生時代

学生の頃はずっと体育会系に所属していたが、中学では3年間レギュラーにはなれなかった。しかも最後の大会ではユニフォームを後輩に譲ってベンチにも入れなかった。

今でもあの時を思い出すと胸が苦しくなる。

そういった経験があるからだろうか、今でもスポーツ中継を見るときは勝敗以上に過程が気になる。才能の有無にかかわらず、なにかを目指して努力して夢をつかむ。もしくは夢に届かず肩を落とす。そういったシーンには今でも胸が熱くなって、選手たちに強く感情移入している。

「シコふんじゃった。」という、本木雅弘主演、周防正幸監督の高校相撲を題材にした映画があった。もう30年も前の映画だ。その映画に、竹中直人が演じる青木という男が登場する。彼は相撲部唯一の部員であり、相撲部存続のために高校を留年を繰り返す8年生。しかし相撲への愛情にもかかわらず、極度のあがり症のせいもあって試合では一度も勝ったことがないかった。でもその彼が、ある試合でいくつかの偶然が重なったことで試合に勝つことができた。そして彼は試合後トイレにこもって一人うれし涙を流す。

私はそのシーンが好きだった。とても褒められた勝ち方ではなく格好良さのかけらもなかったが、8年間勝てなかった男が大好きな相撲で人生初めて勝ったのだ。言葉にできない感情に、このシーンはいつも涙腺が熱くなっていた。でも最近は感動することがあまりない。

『silent』に感情移入できない

この冬『silent』というドラマがあった。耳の聞こえなくなった男の人とその元彼女が再会するストーリーだ。このドラマを見てキュンキュンする人がたくさんいた、という記事をネットで見た。嫁も毎週欠かさずこのドラマを見て毎回涙を流していたが、私の涙腺は常温のままか、むしろ少し冷えていた。

私は登場人物のだれにも感情移入ができなかった。抱いた感情はモヤモヤ感、むしろ不快感に近かったかもしれない。置かれてる立場や状況が自分と違いすぎる。自分だったらどうするだろうかを考えるのだが、ドラマの登場人物が私の考え・期待と合わない行動をするからモヤモヤしっぱなしだ。

あのドラマを見て涙を流した人たちというのは、登場人物に感情移入し同調し、気持ちが分かるからキュンキュンするのだろうか。自分の過去を思い出し、何かを思って涙を流していたのだろうか。聞けるものなら聞いてみたい。ドラマの楽しみ方や感じ方は人それぞれなので批判をしたいわけでも自分を正当化したいわけでもないが、自分との温度差の理由を知りたい。しかしなんとなくセンシティブな部分の気がして、嫁ですら聞くのをためらわれる。

感情表現とマネジメント

私は人よりも感情の起伏が小さい方で、感情的になることはあまり多くないと思う。マネジメントにはなにより冷静さが大事で、想定外のことがあっても得られた情報から状況を正しく理解して必要な対応をとる必要がある。そこに感情的な言動は必要なく前を向いて進むしかない。真面目に実直に真摯に物事にあたるこの性格は、私がプロジェクトを進める上では強みだと思っていた。

しかしテレワークなどで対面でのコミュニケーションが減っていて、出社していてもほとんどがリモート会議だ。会議室に移動する必要がなく、会議室の予約もいらないのでとても効率的ではあるが、皆がカメラをオフにするのが暗黙の了解になっているため相互に表情が見えない。説明など情報の発信は資料と音声で十分だ。でもコロナ前は自然と表情や目線、身振り手振りで補うことができていた「印象」や「雰囲気」のようなものを伝えることができなくなった。

そのため会議での冷静で淡々とした発言は、時に冷たい印象を与えてしまう。もちろんそういった負の印象を与えないように明るく前向きに、攻撃的な発言にならないよう気をつけてはいる。しかし先日、オンライン研修の中で自分の発言している様子の録画を見る機会があったのだが、とても暗く冷徹な自分がそこにいて驚いた。オンラインでの会議やテレワークに慣れてしまい、感情表現がおろそかになっていたのだろう。言葉に気をつけていても、あれで私の本意が参加者に伝わったとは思えない。危機感と焦りを感じた。

良い笑顔でいるために

年齢のせいもあるかもしれないが、顔の筋肉も使わないと衰えてしまうのだ。コールセンタなどではオペレータは電話で会話しながら、つねに鏡で自分の表情をチェックしているという。私も会議では笑顔を絶やさず、目線を意識し、言葉はできるだけわかりやすくはっきり丁寧にするよう気をつけていこうと思う。何事も日々のトレーニングだ大事だ。

タイトルとURLをコピーしました