私立中学校のオープンキャンパスがあり、2年後に受験を控えた娘と参加した。2,3年前に息子と参加したオープンキャンパスはコロナ禍真っただ中だったためいろいろな制約があったが、今年は食堂の利用や部活動の体験も解禁されており、在校生とも話す機会があってとても充実した内容だった。
テニス部の体験で娘は中高生の先輩に球出しをしてもらい、広いコートで気持ち良さそうにボールを打っていた。9月半ばにも関わらず、炎天下のコートはフライパンのような暑さだったが、生徒たちは熱心に体験者たちに指導してくれた。そして15分間の体験のあと、数名の生徒から中学受験の思い出や中学での部活動についてコメントがあった。みんなとても楽しそうに話をしていて、良い中学校なのだということが分かった。
娘にとっては初めての私立中学校の訪問であり、在校生の話を聞いたり、教室やグラウンドでの姿を見ることで、少しずつ中学受験のイメージが湧いてきたようだった。良い刺激になり、塾での勉強に対するモチベーションも高まることを期待している。
部活動は楽しいのか
テニス部だけでなく、吹奏楽やそのほかいくつか部活動を見学したが、どの生徒もとても充実した良い顔をしていたのが印象的だった。もちろん体力や能力、部活動に対する思いや重要性には個人差はあるし、ちらっと見ただけなので、生徒が皆部活動を心から楽しみ、充実した時間を過ごしていたかは分からない。だが私の学生の頃の部活動とはまったく別物のように感じた。実際に違うのか、それとも今だからそう見えるだけなのかは分からないが、少なくとも私にとっての部活動は「苦行」に近いものだった。
私は中学校に入学するとすぐにハンドボール部に入部した。当時、私の通った中学校では生徒全員に、体育会系でも文科系でもどれか一つの部活動への参加が義務付けられていた。私は「ドッジボールが強くなりたい」という浅はかな理由でハンドボールを選んだ。
入部したら練習はかならず参加しなければならず、家庭の事情で部活を休む、ということも基本的にはなかった。今から思えば違和感しかないし、実はそこまで強制ではなかったのかもしれないが、皆が休まず部活に参加していたし「休めば叱られる」という恐れを常に抱いていた。平日は授業前に朝練があり、また授業後は夕錬、土曜日は午後からも練習があった。日曜日には試合もあり、いつ遊んでいたのか分からないくらい、部活動中心の学校生活だった。
私は運動が得意ではなく、身長が伸びるのも遅かったために中学生のころは筋力・体力があまりつかず、どれだけ練習してもハンドボールがうまくなっている実感はなかった。毎日の練習はしんどかったし朝練も嫌だった。少なくとも「今日も部活に行きたい、たくさん練習して上手になりたい」なんて思いもなかった。試合に出るレギュラーにはなりたかったが、行動が変わるほどの強い想いではなく、慣れたらいいな、程度の気持ちだった。言うならば惰性で部活に参加していたように思う。
それでも、同学年の友達と過ごす時間は楽しかったし、控えとして試合に出場し、勝てばうれしかったので、それなりに充実した時間ではあったのだろう。ただやはり、オープンキャンパスで見た生徒たちから伝わってきたような、心から部活動を楽しんでいたわけではなかった。
主体性によって大きな差が生まれる
指導方法が良くなかったのか、理解力がなかったのか、それとも気持ちが足りなかったのかは分からないが、私の中学校の頃の部活は練習のための練習だった。フットワークの練習では、決められた通りにただ走る。顧問や先輩に言われるがままにシュートやディフェンスの練習をする。何のための練習なのかを理解しておらず、失敗しても原因を振り返ることもしない。毎日部活には参加するが、決められた時間が過ぎるのを待っていただけだ。量をこなせば少しずつでも確実に体力はつくし、それなりに上達はする。だが自分の中に練習のテーマなんてものはなく、主体性もなかった。これではうまくなるはずもない。
とはいえハンドボール自体は好きで、高校、大学に進学してからもハンドボールを続けた。ずっと部活動をやってきたので、進学のタイミングで運動から離れることは不安だったし、新しいスポーツを始めることは、運動が苦手な私にとってハードルが高かったことも理由の一つだ。相変わらず部活動は「苦行」だったが、高校では試合に出る機会が増えたことでモチベーションは上がっていった。また大学では、そもそも部員が潤沢ではなかったということもあるが、キーパーとしてずっと試合にでることができた。責任あるポジションを任され、自分が上手くなることがチームを強くすることと直結する。また試合では私が点を取られなければ負けることはない。大学では顧問やコーチはおらず、部長を中心に部員自らがチーム編成や練習内容を決めていく。私も、ウォーミングアップの際のフットワークでは足腰の動きや筋肉の働きを意識し、キャッチボールであっても常に試合を意識するようになった。
大学での練習は週4日のみで朝練などはなかったが、中学・高校と比べて格段に内容が濃く、また厳しいものだった。大学2年から始めたキーパーに適性があったのか、また充実した練習の日々を過ごした結果、私は最後の試合でMVPに選ばれるほどに上達することができた。
私の10年間におよぶ部活動は、主体性を持ち、目的を意識することで得られる結果が大きく変わってくるのだ、という貴重な成功体験となった。
人生は苦行ではない、主体性を持って楽しく生きよう
ほとんどの人が、上司の指示や誰かからの依頼を受けて仕事をしていると思う。言われるがままにこなすだけでも、それ相応の成果と評価が得られる。指示があいまいであったり、ゴールがはっきりしていないことで求められる成果がでなかったとしても、その責任は指示や依頼元にある、と責任を逃れることも出来る。
だが、引き受けたからには自分の仕事であり、その仕事を期待通りに成し遂げる責任と義務が生じている。指示が間違っていたり情報が足りていなくても、自ら主体的に行動して不足分を補うことで、得られる結果が大きく変わってくる。そのためには、何のための仕事なのか、ゴールは何かを正しく理解することが求められる。説明がなければ確認すればいい。求められた以上の成果を出せば評価されるし、得られる経験や知識、ノウハウもずっと増えるので、自己成長にもつながっていく。信頼と成長を積み重ねれば昇進・昇給にもつながるし、評価に満足がいかなければ転職してキャリアアップを図る道も開ける。
給料のために与えられた仕事をこなして退社時間がくるのを待っているようでは、どんな仕事でも面白みはないし、やりがいがもない。楽しくもない。それこそただの「苦行」だ。
必要なのはなにより主体性だ。主体性と責任をもって自分の道を進むことで、人生は「苦行」ではなくなり、楽しく幸せな未来が開けていくのだ。そんなことを、中学生の部活動から学んだとある日の話。