配られたプリントを片付けない息子
相変わらず息子の部屋にはプリントや教科書が散乱している。今週は期末テストがあるのだが、夕食後に息子が部屋でガサガサしていたので何をしているか聞いてみたら、次の日のテスト用に配られた解説プリント(おそらく重要ポイントがまとめられている)を探しているという。1時間ほどして見つかったので事なきを得たが、テスト前日の貴重な1時間を無駄にしてしまったことに変わりはない。
プリントは配られた当日に「提出するもの」「あとで必要なもの」「要らないもの」に仕分けし、整理しておけばいざという時に困らないし、部屋がプリントの海になることもない。私も嫁も、口を酸っぱくして息子にそう言っているが、一向に改善しない。
だが「プリントが見つからない」という自らが困った経験をしたことによって、自発的に改善しようという気持ちになるかもしれない。そう期待し、息子が帰宅後にあらためて配られたプリントを日々整理することを提案した。
だが、息子は頑なに私からの提案を受け入れようとはしない。
・部屋の片づけは毎週日曜日にすると決めている
・プリントを探すのに1時間もかかっていない
・今はもう困っていない
だから大丈夫。
実際のところ大丈夫なわけはない。必要なプリントがすぐに見つからないと、たとえそれが10分~15分であっても勉強の効率は低下する。仕事で欲しい情報がすぐに手に入らないのと同じだ。仕事なら誰かに依頼すれば自分の手は空くが、勉強ではそうはいかない。本来は勉強するための時間が、プリントを探すことで失われていく。
さすがに息子もその事実に気づいていると思うのだが、「大丈夫」だと言い張る。「中二病」というやつだろうか。理詰めで説明しても効果がなく、息子の行動に変化は見られない。
中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語[要出典]。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85
すぐに床に置きっぱなしにする娘
娘は、学校から帰るとランドセルをリビングの床に置く。自分の部屋があるのだからそこまで背負っていってほしいところだが、娘はまだ自分の部屋よりもリビングで過ごす時間が長いので、致し方ないかな、と思っている。ただ、ランドセルから出した宿題やプリントを、兄と同様にその周りに置きっぱなしにする。また朝はパジャマが、帰宅時は制服が床に置かれたままだ。
リビングなので床に置けば私や嫁の目に触れないわけがない。また生活同線上に置いてあれば気づかずに踏んでしまうこともある。そのためしょっちゅう娘に注意をするのだが、これまた言うことを聞こうとしない。
嫁:「床に置きっぱなしにしないで!」
娘:「置いてないから!」
いや、めちゃめちゃ置いてるし。
本人ですら自覚しているであろう、浅はかな反論なのだ。
床に物を置けば踏んで壊れたり汚れることもある。脱いだ衣類が雑巾のようになってしまいかねない。置きっ放しにすればダニが湧くこともある。物によっては踏んだ側が怪我をすることもある。そもそも小学校の上級生にもなって、片づけができないのは恥ずかしい。
筋が通っているのはこちらであり、娘に反論の余地などない。だが頑なに反論されると、それが正しいかどうかは関係なく話が先に進まない。思春期にはまだ早いと思うが、反抗期の一種なのかもしれない。理詰めで説いても、娘の行動を改善することはできない。
負けたと思われたら負け
いくら私や嫁が理詰めで注意をして、それを頭では理解できたとしても、自分の考えが否定されることに抵抗があるのだろう。誰でも「あなたは間違っている」と言われて良い気はしない。承認欲求が損なわれ、幸福度が下がる。「説得されてしまった」「負けた」というネガティブな感情が湧いてくる。
そして、様々な理由をつけ、言い訳して「やっぱり自分は間違っていない」という自己擁護に走る。そこに論理性はなく、感情が優先となる。自分の考えを曲げない事で、自らを守ろうとする。こうなると、いくらこちらの言い分が正しくても息子や娘の行動を変えることはできない。
つまり、理詰めでこちらの正しさや、相手が間違っていることを説いても意味がないのだ。論破した側は達成感・征服感を得られるかもしれないが、相手の考え・行動を変えることができなければ、本来の目的は達成されない。自分で気づいて、自ら行動を変えるように持っていかなければならない。
ではどうすればよいか。まずは指摘する側が感情的にならない事だ。指摘する際に声を荒げたりしてはいけない。怒った素振りを見せてもいけない。責めてはいけない。こちらの正当性を認めさせようとしてはいけない。
そして相手の立場や状況、考えを理解し、認めることが何よりも大事だ。そのためには、なぜそのような状況になるかを説明してもらう。どこに原因があるかを、本人の言葉で話してもらう。そこで批判したりアドバイスをしてはいけない。聞き出して共有するだけでいい。
次に、その状況がどいった問題を引き起こしているかを話し合おう。家族など周りへの影響だけでなく、本人にどういった不利益を及ぼしているかを確認する。例えば息子であれば「必要な時にプリントが見つからない」こと。娘なら「床に置いた衣類などが家族に踏まれ汚れてしまう」ことだろうか。
状況と原因、影響を共有できたら、最後は一緒に解決する方法を探る。解決策は一つではない。ただ、できるだけ相手が自発的に行動できるほうがよいし、こちらの負担も小さくしたい。最終的なゴールは原因そのものを取り除くか、解決策を習慣化して日常に組み入れてしまうことだ。そこまでしてようやく、過度なストレス・負担なく、問題を解決できる。
手ごわくなってきた子供たち
小さいころは親の言うことに無条件で従ってくれた子供たちが、成長して自分の意志を持ち、意に介さないことは感情的・反射的に反論してくるようになってきた。子供の成長という面では嬉しいことだ。だが、今まで「親の権威」を使って子供たちをコントロールすることはもう出来ない。仕事と同じように、子供たちを一人の人間・社会人として扱い、共に問題を解決し、正しい方向に歩んでいくよう、自ら意識を変えていかなくてはならない。それは普段、仕事でチームメンバや関係者に対して行っていることと何ら変わりがない。
仕事でも家庭でも、人を動かすことの本質は変わらないな、とあらためて思った次第。