私は大阪市内に住んでいるため、車がなくて困るというシチュエーションがほとんどない。身近な移動は徒歩や自転車が多く、通勤も30分かけて自転車を使う。バス停やJR、地下鉄、私鉄の駅までは徒歩で5~15分なので、公共交通機関を使った移動にも不自由はない。旅行は公共交通機関を利用する前提で計画している。
先日、京都の貴船に行ってきた。出町柳から叡山電車に乗り換え、貴船口で降りる。そこから貴船までバスなら数分。歩いても30分かからないので、気候によっては良いハイキングになる。ただ行きは上りになることもあり、子供たちの体力を考えてバスを使った。休日はバスの本数が多く、10分待てば次のバスが来るのでとても便利だ。だが外国人観光客も多いので、どのバスもすぐにいっぱいになった。
貴船でバスに降りると、そこからは貴船神社や川床のあるカフェ、旅館、料亭までは道が細くなる。車も通れるが1台分の幅しかない。午後になって観光客がさらに増えてくると、貴船神社までの道は車や歩行者でいっぱいだ。車2台がすれ違える場所にも限りがあるので、お店の前であれば、お店の従業員が交通整理をしてくれるが、それ以外の場所はドライバーがお互い自己判断で譲り合ったり、試行錯誤をしている。
ようやく目的地についても、貴船神社の近辺は駐車場が少なく、お店用の駐車場がほとんどない。そのため駐車場の空き待ちでさらに渋滞が悪化する。私たちは昼過ぎには貴船を後にしたが、その時点で渋滞の後方にいた車に乗っていた人たちは貴船を楽しむことが出来たのだろうか。
車で得られる自由
確かにクルマは便利だ。実質マイカーでなければ訪れることが困難な観光地は結構多いし、公共交通機関が整備されていても乗り換え・乗り継ぎの繰り返しは時間と体力がかかる。キャンプやゴルフで荷物が重くてもクルマがあれば自宅から目的地に持っていける。日常生活でも、業務スーパーで生鮮食品を大量に買い込めるし、家電や家具を購入してもその日に持って帰って使用できる。
私も嫁も20年以上ペーパードライバーなので、旅先でレンタカーを使う選択肢も取りえない。何かに備えて、車を持っていなくても運転は出来るようにしておいた方がよいのでは、という不安もある。
地元は愛知県の片田舎なので、公共交通機関があまり整っていない。最寄りの駅まで歩くと30分以上かかるし、コミュニティバスが運行しているが本数はあまり多くない。タクシーすらあまり走っていないので、読んでもすぐに来てはくれない。また買い物も徒歩圏内に目的のお店がないので、私が子供の頃も今も変わらず、クルマが移動手段の中心だ。地元で友人と飲みに行くときには、帰りは友人の嫁の運転にお世話になっている。
地元は土地も安いので、一戸建ての住宅には2~3分の駐車場があることが当たり前だし、個々のお店にも十分な駐車場がある。また愛知県はトヨタや三菱など自動車関連の会社や工場に勤務している人も多いので、車とは切っても切り離せない生活なのだ。
だがそれでも、高齢になってきた母親は免許を返納しても生活できている。生鮮食品は生協で配達サービスがあるし、健康のために積極的に歩くようにしているらしい。限られた公共交通機関でも、うまく活用すれば行動範囲を広げることができるし、あらかじめ予定が分かっていればタクシーを呼ぶこともある。車は便利だが、少なくとも片田舎のレベルであれば、なくても生きていける。
車を持つことの不自由
慣れていないこともあって、私は車の運転をしたいとは思わない。旅行に行って疲れたら、帰りの電車では眠りたい。移動の合間に休憩できれば、次の目的地でより楽しめる。嫁など同乗者と交代で運転するにしても、一人が休んでもう一人が休めない、という状況は気を遣うし心が休まらない。なにより同乗者の命を背負って運転する度胸も覚悟も持ち合わせていない。クルマは、運転することが好きで且つ日常的に運転に慣れており、同乗者を危険にさらすことがほとんどない、といった人が使うものだ。
せっかく旅行に行っても、車を止める場所がなければ逆に行動に制限がかかってしまう。駐車場の空きがないので運転手以外は先に降りて観光する、なんてことも起こり得る。駐車場の回転が早ければよいが、1時間以上も待たなければいけないのは不毛だ。ドラえもんの四次元ポケットがあれば悩みは解決するが、そんな世界は当分訪れないだろう。
また、クルマはそれ自体が高額だし、ガソリン代もかかる。自宅に駐車スペースがなければ月数万円払って駐車場も借りなければいけない。仕事で毎日クルマを使うならまだましだが、週末や旅行の時しか使わないのであれば費用対効果はすこぶる悪い。我が家は駐車場スペースをつぶして駐輪スペースと小さい庭にしてしまい、庭で季節の花や野菜を育てている。
クルマは必要だが、自ら運転しない時代になる
日本は少子高齢化に向かっており、今後公共交通機関やタクシーの利用にも制限がかかっていくことが予想される。大阪市内がそういった状況になるには数十年以上先かもしれないが、私の地元を含めて田舎・片田舎であればすでにそうなりつつある。足が悪く移動する術がないので病院に行けず、病気が進行してしまう、ということも起こるだろう。生鮮食品の宅配サービスやネット通販ですら、回数や配達日数に制限もかかるに違いない。
だが、そんな状況になったとしても、マイカーを所有して自分で運転をする、という選択肢は想像できない。今は便利さで溢れているが、昔はそれなりに不便さと付き合って生活してきた。1分1秒を気にせずに生きていくスローライフも悪くない。
また、あと10年もすればドローンや自動運転技術は一定のレベルに達し、日常に溶け込んでいくに違いないと踏んでいる。少子高齢化、労働力不足は日本だけでなく先進国共通の課題なので、この分野の研究開発には各国各企業が注力ししのぎを削っている。必要な法整備もされていくはずだ。まずは地域限定で無人の宅配や無人タクシーサービスが開始し、実証実験を経て少しずつ地域に広がっていく。私が高齢者と呼ばれる年代になればますますそういった環境が整い、平常として定着しているだろう。
これはもう夢物語ではない。いろいろな事情によって、ある程度は約束された未来だ。車を持たない側からの偏った見方ではあるが、やはり今もこれからもクルマを持つ必要性はないというのが、私の結論だ。