めんどくさがりの息子
部屋の片づけをしない息子に理由を聞いてみると「めんどくさい」からだと言う。学校から帰ってから着替えなかったり、帰宅時に足の裏がべたべたするので洗うように言っても「めんどくさい」からやらない。何度も小言を言うと、その相手をするのが「めんどくさい」からしぶしぶ言うことを聞く。「めんどくさい」ことは出来ればやりたくないし、もしやらないといけないにしても後でまとめてやった方が1回で済むので効率がいい、という考え方だ。
だが「めんどくさい」という感情を理由に先送りしてはいけない。都合のいい言葉で一括りにして片づけるのではなく、先送りしたときの影響を考えて判断する必要がある。
部屋の片づけはめんどくさいから、毎週日曜日になったら一週間分片づけて掃除をする。その習慣自体は悪くはないのだが、散らかっていく部屋に学校からの配布物が散乱した状態では、提出物の紛失や出し忘れ、また教科書やプリントが使いたいときにすぐに見つからない、という事態が起こる。「片づけ」自体は一度にまとめれば効率的だが、散らかった状態が更なる「めんどくさい」をもたらす。それならば、カバンから出した教科書は都度所定の場所に戻す、配布物も「提出するもの・あとで必要になるもの・不要なもの」に仕分けすればよい。これを習慣化して癖にすれば、めんどくさいと感じることもないし、日曜日の片づけもグッと楽になる。
めんどくさがりの娘
娘が塾の宿題をしていた。計算の問題集を、1日10問ずつ進めなければいけない。小数や分数も含む3~4つの数字を足し引きだけでなく、掛けたり割ったりもする。間違えたら解き直しだ。大人でも正直めんどくさい。娘も当然のように、毎日「めんどくさい」を作り返しながら宿題をやっている。
塾に行き始めたころは宿題をさせるだけでも一苦労だったので、それを思うと毎日その10問に取り組むだけでも進歩だ。ただし、10問10分が目安なのに関わらず、娘は気が乗らないと僅か10問に1時間以上かかってしまう。決して問題が難しいわけではない。簡単な計算を実直に繰り返すだけなので1問1分のペースで十分だろう。しかし娘は集中力が続かず、よそ見・よそ事をしながら中断を繰り返し、ダラダラと解いているので思うように進まない。
10分間集中すればその日の宿題からは解放され、親からの小言を聞くこともなく自由に遊べる。それは本人にも分かっているはずだが「めんどくさい」という気持ちが集中を妨げる。僅か10分間であっても、小学生にとって自分が望まないことに集中するのは簡単ではないのだろう。そのためこの宿題は、10分集中するトレーニングを毎日繰り返し、それを習慣化することで、集中力の自力をつける狙いもある。中学校入学試験は40分~50分なので、計算10問に1時間かかっていたらどれだけ時間があっても足りるわけがない。
「めんどくさい」を口に出すなかれ
「めんどくさい」ことで、必要ならばやらなければならない。そのためには「習慣化」してしまえばよい。日常に組み込むことで、歯磨きや入浴のように「めんどくさい」を意識せずに淡々と事が進んでいくのだ。ただし「習慣化」するには本人の意志が必要だ。片づけが出来ない、宿題に時間がかかる、といった状況を自らが変えたい、と思わなければ日常を変えることはできない。
そのため、まずは「めんどくさい」と口に出すことをやめなければならない。口に出すことで、今からめんどくさい事をやらないといけない、というネガティブな気持ちが生じるし、それを先延ばししたりダラダラと時間をかける理由付けをしてしまうことになる。
その代わり「めんどくさい」ことを前にしたら、「やります!」「がんばります!」「よし、やろう!」と声に出そう。心の底では「嫌だ」と思っていても、ポジティブな言葉を自ら口に出すことで「めんどくさい」ことに取り組もうとする自分を鼓舞することができる。他の人から「やりなさい」と言われるよりも100倍効果がある。「10分間集中するぞ!」「休憩する前にやることをやるぞ!」と具体化すれば、そのイメージが心に残ってやる気も増すのでさらに効果的だ。
「めんどくさい」は必要の母
我々人類は、「めんどくさい」に正面から向き合うことで進歩し発展してきたといっても過言ではない。
私が子供のころは、テレビのリモコンなんてなかった。テレビを見たかったら本体の電源ボタンを押して、そのあとチャンネルボタンを押す必要がある。リビングで椅子に座って食事しながらポチポチチャンネルを変える、なんてことはできなかった。
買い物も、食品はスーパー、文房具は文房具屋、本は本屋と、いちいちお店を廻らなければならなかった。今はスーパーにも雑貨・文房具コーナーがあるところが増え、コンビニで雑誌や漫画も買うことが出来る。なにより外に出なくても、スマホからネットで注文すれば自宅まで運んでくれる。
お金の管理も大きく変わった。私の親は、給与・賞与支給日は現金の入った給料袋を持って帰ってきていた。銀行振込、引き落しもなく、学校や習い事には、お金の入った袋を持って行った記憶がある。今は給料は銀行に振り込まれ、様々な支払いは毎月引き落とされたり、クレジットカードで支払うことが出来る。
「めんどくさい」はビジネスの種なのだ。どうすれば「めんどくさい」を減らせるか。そして「めんどくさい」を無くせるほどのサービスが生まれれば、それはブレイクスルーとなる。そうして世の中に便利なことが次々に増えていった。
それでも、やらなければならないことはなくならない。
日々の片づけは、自分でやらなければ生活力が身につかない。将来ずっと親の世話になる事もできない。人に頼ってばかりでは、自分ではなにも出来なくなってしまう。宿題も自分のためにやることだ。知っていること・身に着けていることを土台にして、人はさらに成長し、進歩・発展していく。
宿題を自動でやってくれるペンや、身の回りのことをすべてやってくれるロボットは、もはや夢物語ではなくなった。だがそれは進歩ではなく、人としての退化だであり、長い目で見て良いことはない。
「めんどくさい」なと思ったら、まずは自分が発する言葉を変えよう。そうすれば自然と行動も変わっていく。「めんどくさい」は成長・進歩・発展の大きなチャンスなのだから、これを逃す手はない(ポジティブ)。