G7広島関連のニュースが連日放送されていた。そして今回のサミットには戦時中のウクライナからゼレンスキー大統領が訪日して出席する、ということで特に話題となった。中学生の息子から政治・経済の話をすることは少ないが、昨日は息子の方から私にこう話しかけてきた。
「お父さん、ゼレンスキー大統領ってすごいよね。だってもともとコメディアンだったんでしょ」
学校やネットニュースで知ったのだろうか。ウクライナのゼレンスキー大統領はもともとコメディアンだった。そして2015年から2019年に放送された「国民の奉仕者」というドラマで、大統領になる教師を演じた。高視聴率を獲得し、その勢いのまま2019年4月の大統領選挙に勝利した。今は、戦時中の大統領として、国際世論を味方にしてロシアと戦っている。
彼の経歴をものすごく簡潔にすれば、確かに「コメディアンから大統領になった」ということになるし間違ってはいない。だが「すごい」という言葉にすべてまとめてしまうと、本質を見失ってしまう。
元コメディアンだからすごい、のではない
息子の言葉を借りれば、大統領になることは間違いなく「すごい」ことだ。立候補し、支持されて当選し国を率いるなんてことは、やる気・能力・財力・運など、本人の資質だけでなく環境や偶然も重なってようやくなし得ることだ。戦時中という特異な状況のかじ取りは、さらに特異な能力が必要だろう。
だが、コメディアンから大統領になったことがすごいわけではないのだ。ゼレンスキー大統領にとってコメディアンは最初についた仕事に過ぎない。そこからバラエティ番組の司会や映画出演、ドラマ出演を重ねて人気を得て、「国民の奉仕者」がきっかけとなって大統領になった。
最初の職業としてコメディアンを選択したくらいなので、人前に出ることが好きで、エンターテイナーとしての才能もあったのだろう。また、ドラマで大統領の役を演じる中で思うところがあったのかもしれない。大統領に立候補する際には、それ相応に政治・経済についても学んだに違いない。コメディアンは彼のキャリアの入り口に過ぎず、そこからステップアップして最終的に大統領になったのだ。お金に困っている人がある日宝くじで3億円に当選したのとは話が全く違う。
何事もやってみなければわからない
コメディアンとして成功した人が俳優になり、一定の評価を得てマルチタレントとして活躍する例は日本でも多々ある。そのあと政治家に転身する人もいる。コメディアン、俳優、政治家は職業の一つに過ぎず、その職業に就くためにはそれ相応の才能・努力が必要だ。そこで成功する人もいれば、失敗する人もいる。
芸能人も政治家も、誰でもなれるわけではない。様々な条件があり、サラリーマンと比べれば難易度が高く、特別な職業であることは間違いない。ただどんな職業でも、そこで成功して評価されれば、自然とステップアップして役職が上がるし、前職での経験を活かして転職することもある。
また、最初に着いた仕事がうまくいかなくても、他社や他業種に転職して成功する人もたくさんいる。向き不向きもあればタイミングもある。やりたいと思っていた仕事でも、実際にやってみたら思っていたのとは違うということもあれば、嫌々で始めたことが思いのほか性に合っていた、ということもある。仕事で失敗しても、その失敗や経験を活かすことができればキャリアアップに繋がる。社会人になって最初の10年で低迷していても、次の10年で大きく羽ばたくこともある。
ゼレンスキー大統領だって、大統領就任後は支持率が一気に下落したらしい。平時のウクライナにおいては、彼の評価は特別高いものではなかった。プーチン大統領も、ウクライナ侵攻前はゼレンスキー大統領を見くびっており、すぐに国外に逃亡すると見込んでいたのかもしれない。だが、大国ロシアと相対する状況においては、彼が大統領でなければここまでロシアと戦い続けることはできなかっただろう。プーチン大統領にとっての大きな誤算となった。
何事も、やってみなければ分からない事は多いのだ。
スタート地点によって、たどり着くゴールは決まらない
中学生の息子にとっては、これから高校→大学と進学していく際には「将来どんな仕事に就くか」ということを考える場面が増えていくだろう。そして少しずつ確実に、より現実的な選択を求められるようになる。進学先によって職業がロックオンされるわけではないが、仕事に直接繋がることが学べるなら就職にも有利だし、即戦力として一定の評価や給与のもとで働き始めることが出来る。大学で専門知識を学び、また在学中に資格を取らなければ就けない職業もある。騎手などは、年齢制限もある。夢があっても、夢に向かって進まなければ、その夢に近づくことは決してない。
同じ仕事に就いたとしても、学校で学んだことだけでなく、それまでの人生での経験や両親の職業といった家庭環境の差異によっても、そのスタート地点は人によって様々だ。そして前の方からスタートしたところで、早くゴールに着けるかどうかも分からない。そもそも働くことにおいては、ゴールなんてものがあるかも分からない。
だからこそ息子に知っておいて欲しいことは、何を為すかにスタート地点は関係ない、ということだ。そして生きること、働くことにゴールもない。夢を持ち、努力してその夢をかなえたとしても、そこで終わりではない。ゴールしたその先にも道は続いている。また夢に繋がらないように見えたスタート地点でも、遠回りしているようで着実に夢に近づいていた、ということもある。
中学生は、志を立てるとき
昔は15歳で元服し、大人の仲間入りをした。中学2年生で「立志式」という行事をする学校もあるだろう。30年前の立志式の文集の中で、私は「エンジニアになる」と書いていた。理由は「モノ作りが好き」だから。しかしエンジニアがなにか、実のところは良く分かっていなかった。
今、私はシステムエンジニアとして働いている。近からず遠からず、モノづくりが好きだという就職理由は実は変わっておらず、そのコアな部分は今でも私の仕事へのモチベーションの一つだ。しかし中学生の時にこれまでの私のキャリアは全く想像できなかったし、今の私もこれからのキャリアがどうなるかなんてわからない。
ただ、中学生のときに立てた「エンジニアになりたい」という志が、やはり始まりだったのだと思う。
ゼレンスキー大統領を見てただ「すごい」と一言で片づけてしまうのではなく、そこに何かを感じたのならば、ぼんやりでも良いので一つ志を立ててほしい、と中学生の息子に対して思った次第だ。