久しぶりに東京出張して、自分に気づく

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コロナ禍により途絶えた交流

10年ほど前、あるIT機器メーカーのファミリー会が主催する分科会に参加した。ファミリー会に所属する各社から参加者を募り、人材育成・交流を目的にとした1年間の研究活動を行うのだ。活動内容は月1回の対面での研究活動が中心で、成果物として論文の執筆と、最後はホテルでの研究発表会を行った。

対面での研究活動は各社が持ち回りで会場を提供するルールであり、関東・関西といろいろなところに会社のお金で出張させてもらった。月一回の集まりでは情報共有や方針検討を行い、また個人ワークの成果報告と次回までの宿題事項を決めて、あとは各自が粛々と宿題をこなしていく。そのため月一回の集まりが非常に重要かつ濃密となり、どうしても時間が足りないので泊りとなることも多かった。

様々な業界のIT会社に所属する個性ある面々が集まっており、非常に刺激的で楽しい活動だった。通常業務をこなしながら時間を作って分科会活動を行うため、夜中に自宅で資料を作成するなど、特に終盤はかなりハードだったが、今ではよい思い出だ。また、当時はコロナの「コ」の字もなく、当然のように夜は懇親会が開催された。そのため、分科会の参加者とは非常に親密になり、分科会終了後も交流が続いていた。関西メンバが東京に出張した際には連絡を取り合って集まり、近況報告や思い出話に盛り上がった。

しかしコロナ禍により出張・飲み会が自粛となったこともあって、この3年間はLINEで連絡を取り合うこともなくなった。交流がすっかり途絶えてしまっていた。

東京出張が決まったけれど

先日、久しぶりに泊りで東京出張があった。ベンダ作業の立ち合いが目的で同行者もいなかったため夜は時間が空いていた。3年前であれば躊躇なく分科会メンバに連絡をとって飲み会をしていたところだが、しかし今回は少し躊躇する自分がいた。

最も大きな理由は、何となく感じる今の自分の不甲斐なさ、だった。会社の同期もそうだが、10年経てば分科会メンバも各々出世して偉くなっている。分科会活動に参加するということは、自社からの一定の期待と信頼、評価を得ているということでもある。そんな面々なので40代にもなれば管理職になっていて当然だ。しかし私はこの10年間ずっと出向しており、出向先ではそれなりに成果を残してはいても未だに管理職ではない。しかも給与ランクが頭打ちで昇給も止まっている、という体たらくなのだ。

私は分科会ではリーダーを務めており、各メンバにも慕ってもらっていた。ある程度存在感も示していたと思う。その私が、今はくすぶって落ちぶれているような様を知られてしまうことに抵抗があったのだ。全くもって安いプライドだった。3年ぶりに声掛けても迷惑ではないか、忙しくて誰も集まらないかもしれない、分科会メンバではなく自社の部長席などと合った方が良いのでは。。。などいろいろな言い訳が頭をよぎった。しかし決してみんなに会いたくないわけではない。逆に今の自分の境遇を社外の人に聞いてもらいたい、という気持ちもあった。

私は3年ぶりにLINEグループに投稿した。東京に泊まりの出張予定があり、もしよければ集まりませんか、と。そしてコアメンバーだった3名と都合がつき、飲み会を開くことが出来た。コロナ禍での在宅ワークや各社の新しい評価制度、家族の話題、10年前の思い出話に花が咲き、充実した夜を過ごした。

迷った時は、その判断が前向きかどうかを一つの基準にしている。誰にも会わずに一人ホテルで一夜を過ごすのは、体は休まるかもしれないがそれ以上に得るものはない。参考書やビジネス書を持って行って自己研鑽することはできても、そんなことは大阪でも出来ることだ。楽して成長は出来ないし、止まっていてもなにも変わらない。

今回も、立ち止まらずに前に進む判断ができた自分を称えたい。

声を上げること、変わること

飲み会では、参加メンバーから逆に感謝された。

もし私が飲み会を企画しなければ、このまま分科会の繋がりが途絶えてしまった可能性が高かった。多くがその繋がりを維持できればいいと思っていながらも、そのために自ら動くほどの積極性は持っていない。つまりは「重要だが急ぎではない」という区分に属するタスクなのだろう。実際、分科会の繋がりがなくても仕事や家庭への影響はきっとほとんどない。自己啓発や人脈形成のための活動は、成果が確約されているわけではない。荒れた土地に種まきをするようなもので、将来ふとしたきっかけで実がなることもあるが、狙ってできることではない。しかしやらなければなにも起きないのは確実だ。

今回、私が皆に声をかけたことで分科会の繋がりが復活した。東京での飲み会をきっかけにして、関西でも集まろうという声が上がった。また当時の活動を思い出したことで記憶も繋がった。この繋がりがこれから何に活きるかは分からないが、少なくとも私は皆に今の境遇を話し、自分の状況を整理することができた。大阪で仕事関係以外の知り合いが少ない私にとっては、社外でこういった話をできる場があるのはとても貴重なことで、その繋がりが維持できたことがまずよかった。

そして気づいた。先日開催した送別会もそうだが、誰かが声を上げるのを待っている人は沢山いる。そして私はそれを待つ側ではなく、声を上げる側、主催する側の人間だった。現状維持を良しとするのではなく、変革を望む人間だった。そして今回声を上げたように、その姿勢は今も変わっていない。

昇給・昇進・評価でモヤモヤすることはあるが、自分が声を上げる側にいられる以上はきっと大丈夫だろう。根拠は特にないが、声を上げられる自分を再確認したことで、自信を取り戻すことが出来た。

これからももっと声を上げていこう。きっと私はまだ、変える側に立っている。

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