全面撤退する前にできることをやる

仕事をマネジメント
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グループのメンバが辞める

4月半ば、上司からグループメンバ全員にメールが届いた。

件名:Aさんが退職されます
内容:Aさんが6月いっぱいで出向元を退職されます。
   当社への出勤は5月2日が最終日となります。
   4月17日週:引継項目洗い出し、引継計画作成
   4月24日週:引継ぎ

Aさんは1年前に同じグループの別チームに出向してきた若手だ。グループ会社からの出向で、事業会社でのプロジェクトマネジメントや他部署間との調整・とりまとめを経験し、そのノウハウを学んで自社に持ち帰ることがミッションだった。また、同じチームのBさんが6月に離任することが決まっており、AさんはBさんの交代要員でもあったため、Bさんが担当していた作業や問い合わせ・依頼対応など、1年かけてAさんへの引き継ぎを進めていた。そして今年度はようやく中規模の更改案件が始まるため、Bさんがその更改案件の立ち上げまで行い、実行フェーズではAさんにPMを交代する予定だった。しかし突如Aさんは離任・退社を決断してしまった。

Aさんの出向元でも、新入社員を迎えた新体制でスタートを切ったところだ。そのためすぐに手ごろな交代要員を手配することは難しく、早くても6月以降の着任となるらしい。当然、Aさんから交代要員に引き継ぎを行うことは不可能だ。また、他から一時的に要員を調達することもできないので、5月は完全な要員純減となる。仮に交代要員のCさんが6月に着任できても、既存メンバがAさんの残した作業を対応しながら、Cさんを育成しなければならない。中途半端な時期にやってくるCさん能力は未知数だし、正直あまり期待はできないだろう。

辞める決断をされた時点で負け

Aさんの所属チームのリーダであるDさんは事前に何も聞いておらず、怒りを通り越して呆れかえっていた。

『去年から浮かない顔をしてたし、体調を崩していた時期もあったので遠からず辞めるかな、とは思っていた。どうせ辞めるならもっと早く決めてほしかった。このタイミングはチームにも自社にも迷惑だし、社会人としての責任感がなさすぎる。私、何か間違ってますか?』

Dさんの気持ちはわかるし、確かにAさんの辞めるタイミングはこれ以上なく最悪だった。状況よっては就労規則の違反となり、賠償金を課されることもあるかもしれない。しかし管理者としては、どんな理由があるにせよ部下に辞めると決断されてしまった時点で負けだろう。限りある人材を如何に活用するかが管理者の腕の見せ所であり、Aさんの能力や適性をみて、チームとしてどうすれば最大限の成果を得られるかを考えなければいけない。なにより辞めそうな気配を感じながら対処しなかったのは、Dさんの怠慢でしかない。

Dさんは出向者ではなく、事業会社の生え抜き(プロパー社員)の中堅だ。頭が良く判断も早くて正確で、周りに要求するレベルが高く自分にも厳しい。上席からの信頼も厚く、今後を期待されている。だが、リーダの役割をまだわかっていない。出向者であるAさんのパフォーマンスに問題があれば、その対処はリーダでなくグループ長(マネージャ)の役割だ、という言い分もある。しかしチーム運営に支障が出るならなおさら、自らがメンバとグループ長との間に立って対応しなければいけなかった。Dさんは自分で自分の首を絞めているのだが、本人はそのことに気付いていないのだろう。批判や批評は誰でもできるが、それだけでは状況は変わらない。その意味で、Dさんは案件や作業の管理者に過ぎず、組織や人材を管理する役割を果たしていないのだ。

退職を決断する理由

退社の発表から、Aさんはほとんど在宅勤務になった。出社してグループメンバに顔を合わせるのは気まずいし、なによりリーダのDさんを避けているのだろう。そこでDさんが休暇のタイミングでAさんに、対面で話がしたい、と持ち掛けた。Dさんの口ぶりからAさんはかなり追い込まれていたように思えたので、Aさんが退社を決断するに至った経緯、背景を直接Aさんから聞きたかった。今のチーム体制や組織運営に問題があるなら改善していかないといけない。Aさんから話を聞いて、少しでも今後のマネジメントの参考になれば、という打算的な思いもあった。

Aさんは、6月から実質1人で更改案件を回していくことにひどくプレッシャーを感じていた。何をすればよいかが分からないので不安でほとんど寝れず、体調を崩して出社できない日もあったという。そしてそのプレッシャーや不安を、Dさんやグループ長に伝えることができなかった。同期や家族には相談しても、Aさんの置かれた状況や問題点に対応できる立場の人たちに、悩みを打ち明けることはなかった。そして一人で悩み、半ば短絡的に性急に退社を決断してしまった。精神的に弱っており、冷静な判断力を欠いていたのかもしれない。ただ、辞めると決断したことで気持ちが楽になり、良く眠れるようになったことから、自社からどれだけ引き留められても、退社を考え直すには至らなかった。このまま残って働き続けた未来に、ポジティブなイメージを持つことはできなかったのだろう。

多くの人は、自分や家族の幸福度を高めるために仕事をしている。給料をもらう、承認欲求を満たす、やりたい事を実現する、といったことを通じて、幸福を追求する。そのため、健康を害したり、辛い思いを耐え忍んでまで働く必要はない。本来の目的と合わない仕事・会社を続けるのは時間の無駄なので、さっさと転職すればよい。今、日本はどこも人手が足りないので、より待遇のよい仕事は比較的容易に見つけることが出来る。

それでもやはり、Aさんの退職のタイミングは最悪だし、Dさんが言うように社会人としての責任感の欠如を責められても仕方がない。誤解を恐れずに言えば、Dさんは目の前の現実から逃げたのだ。転職すれば前職との人間関係はリセットされるし、前の会社にどれだけ迷惑をかけても、それ自体が転職後に尾を引くことはない。だが、Aさんはこの転職から学ばなければならない。生きていく上で、逃げたくなる状況はこれからいくらでもやってくる。そのすべてから逃げていては、いつになっても目的地にたどり着くことはできない。逃げからの転職はそう何度もできるものではない。いくら人手が足りないとは言え、どこの会社も入社してもらったら出来るだけ長く働いてほしいと思っている。そしてそこで成果を残せば、評価されて給料も上がっていく。逃げを繰り返せば、思うような転職ができなかったり、そこで評価を得ることも難しくなる。そして少しずつ確実に、幸福から遠ざかっていく。

逃げ方を学ぼう

Aさんは今回、短絡的に全面撤退を決めてしまった。状況にもよるが、責任ある社会人としては任された仕事からの全面撤退は影響・リスクが大きすぎる。逃げるにしてももっとうまいやり方はいくらでもあったが、そういった経験やノウハウをもった、気軽に相談に取ることの出来る人が身近にいなかった、ということもAさんにとっては不幸なことだ。

Aさんが直面したのは「一人で案件を任されることへの漠然とした不安」だった。誰もが皆分からない事は不安なのだが、Aさんはまずこの不安の正体を整理して、自分が何と向き合うべきなのかを見定める必要があった。自分は「何が分からない」から不安なのかを、ノートにでも書き出してみると良い。そして分からないことは自分でいくら考えても答えがでないので、有識者に聞けばよい。「分からない」ことと戦うのは時間の無駄だ。

そしてすべきことが分かったら、次は「すぐに出来ること」「すぐに出来ないこと」「出来そうにないこと」に分類する。「すぐに出来ること」なら、なにも不安はないのですぐにやれば良い。となれば、残った不安のタネは「すぐに出来ないこと」「出来そうにないこと」にどう対処すれば良いか、もしくはそもそも出来るのかどうかが分からない、ということになる。ここでも一人悩んでいるだけでは解決しないので、自分が思っていることを恐れず、恥ずかしがらずに周りと共有すればよい。怖いリーダーも忙しそうなグループ長も敵ではない。困っているメンバを助けることは彼らの責任であり立派な仕事なのだ。「すぐには出来ない」「出来そうにない」と思っていても、経験やノウハウが足りないために難しく見えていただけで、実は「出来ること」だった、ということも多々ある。その視野・視座のギャップは自分自身ですぐに埋めることが難しいので、わかる人に聞いて、細かくやり方や段取りを教えてもらうのだ。

最後にまだ「出来ないこと」が残っているようなら、それは最初からAさんの仕事ではなかったということだ。リーダーやグループ長にお願いしてやってもらうか、最大限のフォローがなければ出来ない、ということを共有しよう。努力だけではどうしようもないこともある。出来ない事に責任を感じて、自ら追い込むような必要もない。

正面からすべてに立ち向かうだけが戦う、ということではない。時には戦略的に一時撤退し、情報や知識を蓄える時間が必要なのだ。与えられたタスクを自分の力だけで処理できれば言うことはないが、一番大事なのはやり方はどうあれ、そのタスクをちゃんと終わらせることだ。そのために周りの力を借りることは恥ずかしいことでも何でもない。

転職しても、人生は続いていく

Aさんとは一時間程度話をした。精一杯、Aさんの不安な気持ちに耳を傾けて共感した。また、どういった対応をすれば退職と言う最悪な事態を回避できたのかを一緒に考えた。その中でようやく、Aさん自身も「一人で考え込んで自分で自分を追い込んでしまったところがあった」と気づいたようだった。

そこで、再就職するまでに時間があるならその気づきを文字にして残すことを勧めた。退職から転職するまで、毎日過去を振り返って日記を書いてみても良いだろう。追い込まれ、追い込んで、逃げるように転職を決断する、という経験は早々あることではない。たくさんの人にも迷惑をかけたし、Aさん自身やその家族にも負担となる一大イベントだ。それなら、そこから出来るだけ多くのことを学ばなけれもったいない。

学んだことを活かして、後ろは振り返らず、前に進んでいってほしい。転職によって一旦はすべてがリセットされるが、Aさんの人生はこれからも続いていく。その中で、私と話したこの1時間が、少しでも役に立ち、Aさんの幸福な人生の助けになれば、これ幸いだ。

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