選挙活動は誰のためか

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2023年の統一地方選挙真っ最中。大阪市は前半戦である4月9日が投票日だったのですでに選挙の雰囲気はなくなっているが、まだ今週末に市区町村の首長・議会議員選挙が控えており、各地で熱い選挙戦が繰り広げられている。

選挙活動=迷惑行為?

さて、選挙戦とはいったいなんなのだろう。簡単に言えば、立候補者が当選を目指して行う戦いであり、有権者に対して投票を促すための一連の行動をさす。その中身といえば、街頭演説、選挙カー、ポスター、ビラ配りなどだが、これらは私が子供のころからなにも変わっていない。どの行為も、基本的に多くの住人にとっては迷惑行為に当たると思っている。

街頭演説は朝の通勤時間や夕方の帰宅時間など人が多い時間帯を狙って、駅や交差点で行われることが多い。時間があれば立ち止まって話を聞く人もいるが、大多数はほとんど話に耳を傾けずに素通りだ。朝は早く出勤しないといけないし、夕方は疲れているので早く帰りたい。だが人だかりができていれば通行に支障がでてるし、そんなタイミングで支援者がビラを渡そうとしても受け取る気にはならない。

選挙カーも迷惑極まりない。車上で立候補者の名前を連呼して「ご支援お願いします」と言われても、それで投票したくなるわけがない。住宅街ではさらに速度を落として、より住宅に近い位置で大音量で演説を繰り替えす。コロナ禍で在宅勤務者が増えており、そういった演説が有権者の耳に届く機会が増えているが、こちらは在宅であっても働いているのだ。騒音はオンライン会議に支障をきたすし、集中の妨げとなる。

立候補者からすれば、街頭演説や選挙カーは「頑張っている感」をアピールしやすい。名前を連呼すれば、確かにその名前が記憶に残ることもある。街中で演説し、握手などすれば親近感が増し好印象を与えることもできる。だが有権者がこういった活動にストレスを感じて負の感情を抱くようなら明らかに逆効果となり、逆に票を減らす可能性だってある。そう考えると、一連の選挙活動の大部分は候補者たちや政党にとって自己満足に過ぎないのではないか。投票日に明かされる結果に対して「やることはやった」という言い訳が欲しいだけではないか。

効率的な情報の伝え方を考える

有権者がせっかくの選挙権を正しく行使しようとするならば、投票に行く前に立候補者の情報収集が必要だ。各地域の選挙管理委員会からビラなどが配られるので、とりあえずそこで顔と名前、大まかな経歴がわかる。それだけでだれに投票するか決めることもできるし、より詳細が知りたくなればインターネットで選挙の特集ページを見たり、政党のサイトや立候補者のブログからも情報は収集できる。そういった二次元の情報をベースに、実際に本人を見て、持っている雰囲気を感じることで、投票しようとしている人が信用に足るかどうかを判断しやすくなる。だが、実際に本人に会う機会はかなり限られる。駅を毎日利用していれば、選挙期間中に街頭演説を聞く機会も訪れるかもしれない。それでも遠くから眺めていたり、さっと近くを素通りするだけでは雰囲気を感じる暇などない。

そこで提案だが、各家庭に配られるビラに、PR動画に誘導するためのQRコードを貼ってはどうだろうか。そしてPR動画も、5分程度で終わるインパクト強めのメッセージ性のあるものと、もう少し長く、経歴やこれまでの実績、主義主張を語るためのロングバージョンなど、複数を用意しておく。実物をチラ見するよりも、5分かけて動画を見てもらった方が伝わる情報量は段違いだし、興味を引けばロングバージョンも見てもらえるかもしれない。そして良い方向にバズれば、その立候補者はSNSを利用して一気に知名度を上げることが出来る。街頭演説を繰り返すよりよほどコスパがいいし、興味の薄い人たちにも迷惑にならない。

だが、実際にこういった作戦をとる立候補者はほとんどいない。それはなぜかと言えば、やはり有権者の中心が高齢者だからだろう。スマホが普及しているとはいえ、QRコードを読み込んで5分の動画を見ることにストレスを感じる人は少なくない。それなら街頭演説に足を止めて話を聞いた方がよいし、選挙カーで良く聞く名前に親近感を覚えるかもしれない。つまり選挙カーも街頭演説も、朝から晩まであくせく働く20代~50代ではなく、60歳以上で比較的時間のある高齢者をターゲットにしているのだ。だって実際に選挙に行くのは、まだまだ高齢者の方が多い。高齢者の票を固めることが、当選に近づくための近道なのだ。効率的に情報を広めることよりも、効率的に票を集めることが選挙でもっとも大事なことだ。

少子高齢化対策として、選挙活動を変えてみる

異次元の少子化対策を推し進めるには、20代や30代を中心とした、これから結婚し子供を産み育てていく世代への支援が欠かせない。それは裏を返せば、医療費補助や年金の拡充といった高齢者に向けた政策を転換していくことを意味する。財源は限られていて、どちらにも良い顔はできない。本来国や政府には、目の前に起きていることより、10年20年、それどころか50年、100年先を見据えた決断が求められるので、国としては正しい決断だ。少子高齢化が日本の大きな課題であることは、皆認識している。

しかしその対策として、高齢者や中高年は日々の生活レベルが少しずつ下がっていくに違いない。そして少しずつ不満がたまり、その結果国政選挙で与党が得票を大きく減らす、ということも起こりえるだろう。その結果、少子化対策は少しずつ形骸化し、無力化していく。結局日本の少子化は止まらずに、ますます日本は小国となっていく。そんな可能性は十二分にある。

であるなら、街頭演説や選挙カーによる選挙活動をある程度制限してみるのも手ではないか。表向きは、このIT社会において今の選挙活動は時代遅れで迷惑行為に当たる、という建前でもよい。そして選挙活動をインターネットやなどに寄せていけば、自然と若い人たちの得票率が上がっていく。高齢者も、ITを使うことのできる広い見識をもった人たちはこの流れに乗ることが出来る。極端にIT弱者を切り捨てる必要はないが、こういった偏った対応でもしなければ、そもそもの有権者の年代のばらつきは解消されることはない。

実際、選挙活動にはいろいろ制限や決まりがあるので、それを変えるのは簡単なことではないだろう。でも、今を当たり前だと思わずに、必要に応じて目的をもって変えていくことも、この国には必要だ。

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