時間を主体的につかうために、まずテレビを消す

時間をマネジメント
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世界がインターネットでつながったことで、入手できる情報が格段に膨れ上がった。ブログやニュースサイトでも玉石混交、プロアマ問わずに誰かが常にニュースや意見を発信し、そして別の誰かがコメントを投稿する。SNSではいつも誰かが身の回りの出来事を共有しようと頑張っている。

20年以上前、私が学生の頃はインターネット黎明期であり、毎日個人サイト巡りをして掲示板にコメントを記入したり、2チャンネルで盛り上がっているスレッドを見て過ごしていた。そのころはまだスマホはなかったので、インターネットに繋がるのは主に自宅のパソコンからだ。大学から帰って寝るまでの時間、まさに暇つぶしだ。当時は今のように多種多様なコンテンツはなく、面白いサイトやサービスを見つけたらラッキーだ。少なくとインターネットの情報をあさるのに時間が足りない、と思った記憶はない。

今、社会に出て20年以上経過した。平日は朝から晩まで仕事をしていて、休日は家族と一緒に過ごすことが多い。家にいる時間は家族のために過ごしたいので、嫁が忙しければ掃除や洗濯などに進んで取り組む。また子供の相手をする時間も大切だ。子供が独り立ちしてしてからでは取り返すことが出来ない。そして自分の時間ができれば、英字新聞を読んだり、ブログを更新したり、あとは少しスマホでゲームやポイ活をする日々だ。

テレビ番組の大半は、見る必要がない

そんな生活をしているものだから、1日の空き時間があまりない。追加で何かやろうとすると、家族との時間や自分の時間にやっていたことをあきらめる必要がある。物事の優先順位を変えるということだ。そして「テレビを見る」ことの優先順位はかなり低く、私がテレビを見るのはほとんどが食事中だ。朝はNHKが主なニュースと天気予報をまとめて教えてくれるので、30分程度だが前日の出来事などをざっと知ることが出来る。

夕食時はチャンネル権は子供にあるので、流れるテレビ番組はバラエティか、動物もの、またはおもしろ動画系が多くなる。ただ、子供ですら「見たくて楽しみにしていた」といって番組を選ぶことはほとんどない。見るものがないからこれでいいか、という妥協によってその日に見る番組が決まるのだ。本当に見たい番組、例えばアニメや映画、ドラマに関しては録画されている。ではそれ以外の番組は、いったい何なのだろう。

在宅勤務をしていると、平日日中にテレビをつけることがある。そこで流れているのは危険運転が録画されたドライブレコーダーの動画や、どこかで起きている傷害事件など。そういった情報に対してコメンテーターが何か良いコメントを言うわけでもなく、ただ視聴者の共感をあおっているだけだ。そういった番組から得るものは何もない。くだらないな、と思うだけだ。

主体性を取り戻せ

そもそもテレビというメディアにおいて、視聴者は極端に受け身となる。テレビをつければ、深夜帯を除いていつも何かの番組が放送されている。暇だからとりあえずテレビをつけて、特に見たい番組はないけれど適当に番組を選べば、それなりに時間をつぶすことが出来る。しかしそこに、「情報を得る」「学ぶ」「楽しむ」という主体性がない。リモコン1つあれば、座ったまま指の操作だけで事が済む。しかし仕事であれプライベートであれ、受け身で良いことはあまりないのだ。

確かに受け身でいることは楽だ。自分で決めることがないからそこに責任が生まれない。なにか問題が起きても自分のせいではない。常に言い訳、逃げ道がある。でも仕事においては、責任と成果によって給料を得ているわけで、楽な仕事でもらえるお金はそれなりだ。また、意見や主張があったとしても、それを発信しなければ意味がない。会議などで自分の意見を言わなければ参加していないのと同じだし、不本意な決定が下されたとしても異を唱える資格もない。聞くだけの研修は効果も薄いから自己成長ができない。プライベートも含めて受け身では人から感謝されることも少ないから、自尊心を満たすこともできない。

楽でいる代わりに、人生への満足感を得る機会を失っている。そして習慣的にテレビを見ることで、気付かないうちにたくさんの人がその負のスパイラルに陥っている。テレビだけでなく、SNSやyoutubeの時間の使い方にも気をつけよう。ポイントは主体性があるかどうか、前のめりになっているかどうかだ。主体性や欲求がなければ、テレビやSNS、youtubeを見ない事で失うものは何もない。試しにテレビの主電源を消してみよう。スマホをOFFにしてみてもいい。暇をつぶす時間があったら自分が本当にやりたい事、自分のためになることを始めよう。やりたいことがパッと見つからなければ、昔やりたいと思っていたことを思い出してみよう。10年、20年前のことでもいい。あきらめたこと、出来なかったことなど誰にも一つや二つあるだろう。時間は有限ではあるが、何かを始めるのに遅すぎることはない。

人生は、自らの道を選択すること

限りある人生、主人公は自分自身しかいないのだ。時間の使い方を選ぶことは、どういった人生を歩むかの選択でもある。受け身であるということは、その判断を人に委ねるということ。一体それは、誰の人生なのだろうか。

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