「運がいい」は魔法の言葉

感情をマネジメント
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幸せな人生を過ごすために最も必要なものは「お金」でも「健康」でも「家族」でもなく「ポジティブさ」だと思う。

辛い事やうまくいかない事があったときに「最低だ」と現状に嘆くばかりではなにも変わらない。「運が悪かった」と運のせいにするのもただの逃げだ。一時的には気持ちが軽くなって自身を守ることができるかもしれないが、運という不確かでよくわからないものに責任を押し付けても何も変わらない。

そういう時は、現状よりもさらに最低・最悪な状況を想像し、そこまでは至っていないのだから「まだ、運が良かった」と無理やりにでも口に出してみよう。一つでも良かったことを見つけられたらそれが救いとなって先を照らしてくれる。立ち止まったまま下ばかりをみては前に進めない。まだ最悪な状況ではないのだと自らを励まし、顔を上げて前を向く。そして一歩ずつ進んでいけば着実に状況は変わっていく。

ないものをひたすらに欲し、手に入らないことを嘆いても仕方がない。欲求は悪い事ではないが、何かを手に入れること自体を目的にしてはいけない。幸せの定義は人によって異なるが、多くのものを手に入れているから幸せ、と言うわけではない。隣の芝は青く見えるものだ。「お金」「健康」「家族」は幸せを彩る装飾品に過ぎず、幸せの本体ではない。それよりも現状を正しく認識し、すでに持っているものにまず感謝することのほうが重要だ。

その上で、自己実現の欲求や周りからの承認欲求を満たすために、向上心を持って前に進む。これが正しい進歩・発展の道だと思う。

テストの結果が悪かった息子

中間テストの結果が発表され、息子はバツの悪そうな顔で成績表を持ってきた。その前の実力テストがイマイチだったため、今回はより多く勉強に時間を費やしたはずだったのだが、成績はますます下がっていてショックを受けた様子だった。

嫁と3人で結果と原因を分析すると、いくつか問題点が分かってきた。

・小テストが良かったからそんなに勉強しなくても大丈夫だと思った。
・2学期で習ったことより、その前に習ったことの復習問題が多かった。
・英語の単語が覚えられない、覚え方が非効率だった
・新しく習ったことの理解が十分ではなかった。

こういった問題点、改善すべき点が今見つかったのは運が良かったのだ。

親や先生からのアドバイスを素直に受け入れることができない年ごろなだけに、今回の結果にショックを受けて自ら変わらなければならないことに息子が気づいてくれたら、それは何よりの良薬だ。中途半端な結果で今を改善せずにズルズルいっていたら、取り返すのは大変になっていく。

高校受験はまだまだ先だし、これから勉強の仕方を工夫していけば取り返す時間は十分にある。これから良くなる余地があればそれが希望となる。改善することが結果に繋がれば、そこからモチベーションも高く保つことができるはずだ。

健康診断で要再検査

40代半ばともなると、年1回の健康診断では要再検査の項目が増えてきた。今年は血液検査で「糖代謝検査」「血清学RF」の二つで、3か月後に再検査が必要と言われてしまった。だが、自覚症状が特にないうちに健康診断で悪い部分が見つかるのは運がいいのだ。人間誰しも病気になるし、年を重ねるごとに不調な箇所は増えていく。自覚症状がないまま病気が進行し、気付いたときには手遅れなんてことは最悪だ。

幸せな人生をできるだけ長く過ごそうとするなら体のメンテナンスは何よりも重要だが、睡眠や食事、適度な運動に気をつけていても病気にはなることは避けられない。それならできるだけ早くに見つけて対処したほうが良い。

実際、過去には大腸ポリープが見つかって摘出したこともあるし、両目は緑内障の兆しがあって定期的に眼科に通っている。健康診断とは関係ないが、歯医者には半年に一回定期健診に行き、今年は虫歯になる前に親知らずを抜いた。体の不調をコントロールできている現状には満足している。

再検査や定期的な病院通いは面倒くさいが、これもまた運が良かったと思って前向きにとらえている。

「運が良かった」を口癖に

言葉は言霊であり、状況を変える力を持っている。特に自分で発する言葉はダイレクトに自分の耳に、心に届く。ポジティブな言葉を発すれば、自然と前向きに考えられるようになる。

だまされたと思ってどんな時にも「でも、運が良かった」を口癖にしてみよう。思った以上に良い結果がやってくるはずだ。

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