1月26日から医療機関や薬局で使う処方箋(せん)をデジタル化した「電子処方箋」の運用を開始する、というニュースを見た。データ上で過去の処方薬を確認することができるうえ、悪影響が出る飲み合わせや重複処方を避けやすくなることも期待されるが、準備が整っているのは全医療機関・薬局の約0・1%未満に限られ、さらなる普及には時間がかかるそうだ。この件について、政府関係者は「国民に丁寧に説明し、普及に努めていく」と締めくくった。
国民に説明するとは
政治家が頻繁に使う「国民に丁寧に説明する」というフレーズ、新しい政策を始めるときや不祥事などがあった時によく耳にする。特に岸田政権下では常套句にようになっている。最近で言えば「マイナンバーカードの義務化」「防衛増税」「政治家と統一教会の関係」や「安倍元総理の国葬の是非」についても国民に説明すると言っていた。この「国民への説明」とは具体的に何を意味しているのだろうか。
わかりやすいのは「選挙」や「投票」だ。選挙で信を問うために、街頭演説やポスター、テレビ番組、youtubeでの動画配信、ブログなどで各政党や立候補者が自らの政策を説明する。それらが理解され支持を得られれば投票を獲得し、一定数に達すれば「選挙」なら当選、「投票」なら可決となる。
大阪でも2015年、2020年に都構想の是非を問う住民投票があった。この時は大阪府・大阪市が何度も住民説明会を開催していた。特に2015年は当時の橋下市長の人気・インパクトもあって大阪市民の関心が高く、約2万4000人が参加した。各家庭には制度を説明するためのパンフレットや、各政党から反対を訴えるチラシが配られ、大阪市民には十分な説明がされたと思う。それでも都構想が否決されたとき「都構想によって行政サービスがどう変わるのか疑問と不安があり、説明が不十分だった」と評価された。これだけ情報を得るためのチャネルが用意されていても説明が足りないのだとしたら、残された手段は1軒ずつ説明者が各家庭を訪問して説明に回るしかないな、と思った。
その場しのぎ?
では今話題になっている「電子処方箋」や「防衛増税」についてはどうだろうか。任期満了前の解散がなければ、次の国政選挙は2025年10月の衆議院選挙なので、それまで政府が国民に信を問う機会(必要)はない。今年の3月の統一地方選挙で一定の影響はあるだろうが、その結果をうけて国会議員数が増減するわけではない。
2025年の選挙では任期中の実績がアピールポイントになるし、アラがあれば野党からすれば格好の攻撃材料になる。でも往々にして多くの国民は目の前のことが大事で、2年前の出来事なんてそうは覚えていない。政府与党が強引に法案成立を図ったとして、そのときは憤りを覚えるかもしれない。でも結局は選挙前のばら撒きなど有権者の目先の利益を優先した政策があればそれに心動かされる。もし岸田内閣の印象・支持率が悪いままなら、河野大臣や女性閣僚が担ぎ出されて自民党の顔が変わる。それだけで支持率は一定の回復を見せる。政治家たち、とくに自民党幹部はこのことをよくわかっているのだろう。よほど野党に魅力あるリーダーが現れなければまた自民党が政権を維持して、大局は変わらない。
となると政治家が「丁寧に説明する」というのは何を意味しているのだろう。もしかしたら、ただのその場しのぎなのかもしれない。結局、本当に必要になれば人は自ら動かざるを得ない。マイナンバーカードだって「良く分からない」「個人情報漏洩が心配だ」なんて言っていても、代わりに保険証を廃止されるのなら取得せざるを得ない。説明が不十分でデメリットがあったとしても、制度・政策がよほど破綻しているのでなければ自然と受け入れられていく。混乱があっても、実際の手続きさえ機能すれば事は進んでいく。役所やその政策に直接かかわる一部の人たちにさえ周知できれば良いのだ。つまりほとんどの国民は、国や政府から丁寧に説明されることはない。そんな必要もない。
国民の義務と自己責任
国会での議論が不十分だ、といった野党からの発言を聞くが、何十時間も議論したから良いというものではない。結局は国民全員の理解なんて得られないし、仮に国民の大多数が反対した政策が国にとって悪い政策だとも限らない。民主主義なのだから、信じて投票した政治家・政党の任期中は彼らに従うべきだ。議論を重ねて折衷案で骨抜きになった政策の効果に期待できない。もちろん複数の意見をぶつけ合ってよい政策にしていくべきだが何事にも期限があるし、スピード感も大事だ。政治の専門家が各分野の専門家の意見を聞いて政策をまとめ、それを総理大臣が承認して実行する。国民の理解はそのあとでついてくるし、理解できなければそれでも良いのだ。
積極的に理解し利用しようとする前のめりの人たちにむけては、すでに十分な説明、情報は用意されている。国会での討論、政府や各省庁、専門機関のホームページ。パンフレットや書籍にまとまっている場合もある。そういった情報にたどり着き、学び理解する人は新しい制度のメリットを享受し、手厚い説明を待つだけの人は取り残されて情報難民になる。情報格差はなにも年齢や環境だけが原因ではなく、個々の意識によるものが大きい。
民主主義であれば、国民は自ら政策や国の課題、方向性について学んで積極的に政治にかかわるか、もしくは政治家を信じて判断をゆだねるかのどちらかだ。そして決まったことにはおとなしく従う。問題があれば次の選挙で投票する人を変える。これが国民の義務であり、責任だ。
丁寧な説明なんてされない
国から国民への丁寧な説明などされることはない。ただ情報は発信されるのでそれを取りに行けばメリットが得られ、またデメリットを回避できる。テレビ番組が分かりやすく説明してくれても、それはわかった気になっているだけで実質はあまり意味がない。必要なら自らが学ぶことだ。